ハイテック ラボ ジャパン(HighTech Lab. Japan Inc.)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 06:08 UTC 版)
「吉崎武」の記事における「ハイテック ラボ ジャパン(HighTech Lab. Japan Inc.)」の解説
1985年1月、アスキーの役員だった吉崎が、加畑将裕とアスキーラボラトリーズを設置。5、6名の研究員と共に、未来のコンピューターシステムのヒューマンインターフェースデザインの研究開発、脳波で動かすシステム、UFO、サイキック研究が主な仕事。日本ではこのタイプの研究所は初めてだった。 1986年12月、吉崎が株式会社ハイテック ラボ ジャパンを創設。同年、マイクロソフトが100%出資する日本法人を設立する際、アスキーの主なメンバーがマイクロソフトジャパンに移動した。しかし、マイクロソフトジャパンに移動するとアスキーラボラトリーズでの研究ができなくなるので、アスキーラボラトリーズの研究員全員がマイクロソフトジャパンに移動しなかった。 1988年、研究の理解者でスポンサーだった人物が急逝。資金が回らなくなり、当時の従業員のほとんどが退職。退職者の穴を埋めるように中途採用を進めた結果、ほとんどの従業員が入れ替わる。 1992年、CGに強いゲーム、テレビ、映画、CMなどの制作プロダクションへと事業内容を変更。ビル一棟を借り上げていた中目黒から渋谷区神泉塩入小路ビルに拠点を移す。移転の際にビル3階にあった録音スタジオは閉鎖。 1997年3月、従業員のほぼ全員を解雇し、解散。
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