ハイテク企業への成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:26 UTC 版)
エレクトーンの核となる@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}トランジスタを日本電気と共同開発[要出典]して得た技術が発展して、1971年(昭和46年)にはIC工場を建設。ICや、やがてはLSIの開発製造と、音楽ミキサーやエレクトーン、電子ピアノなどの電子楽器への応用をはじめ、その他の機器へも進出した。1981年(昭和56年)にローランドなど5社共同でMIDI規格をまとめる。MIDI規格は、準拠した入出力を備えた1983年(昭和58年)5月に発売されたデジタルシンセサイザーDX7が「バンドブーム」と重なりヒット商品となったほか、その後も業界標準として定着し今日に至っている。 1983年(昭和58年)10月にMSX規格のパソコンを発売する。1985年(昭和60年)のMSX2規格、1988年(昭和63年)のMSX2+規格、1990年(平成2年)のMSXturboR規格でヤマハの開発したVDPやFM音源が採用される。turboRのパソコンは開発しなかったなど、ヤマハはMSXからは距離を取ったものの、その後の多種多様なパーソナルコンピューターの音源カード類や一部ではゲーム専用機など「音源チップのヤマハ」は定番となった。その後、パーソナルコンピューターのCPUの性能が向上し、各種処理がハードウェアにオフロードされなくなったあとは、パーソナルコンピューター向け音源チップの存在感は薄くなったものの、2000年前後の高機能携帯電話への搭載チップをはじめ、2018年現在も各種の組み込み機器などで使われている。 1984年(昭和59年)にハードディスクに用いる薄膜磁気ヘッドの開発を開始し、ハードディスクの普及にともない急成長した。
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