ネマニッチ朝初期のラシュカ派建築とは? わかりやすく解説

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ネマニッチ朝初期のラシュカ派(古セルビア派)建築

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 15:28 UTC 版)

東欧諸国のビザンティン建築」の記事における「ネマニッチ朝初期ラシュカ派(古セルビア派)建築」の解説

セルビア教会堂建築は、主に3つの時代に分類される。第1は、ステファン・ネマニャによって創始されネマニッチ朝初期の時代で、1170年から1282年までの間を指し修道院多く建設されラシュカ地方の名をとってラシュカ派、あるいは古セルビア派などと呼ばれる正教会奉じセルビア王国ビザンティン文化影響にあったが、この時期王国アドリア海ラグーザ(現ドゥブロヴニク)やカタロ(現コトル)などを通じて西ヨーロッパとの交易が盛んであった加えて第4回十字軍派遣によって東ローマ帝国影響力著しく低下したこともあって、西欧影響強く受けた独特の建築生み出すことになる。 1168年ステファン・ネマニャ設立したクルシュムリャの聖ニコラ聖堂(スヴェティ・ニコラ聖堂、現在は廃墟)は、内陣左右に玄関設けるなど、後のセルビア建築一般的となる特質見られるが、厚目地煉瓦積み工法備えた末期ビザンティン特徴おさえている。しかし、1183年頃に建設されストゥデニツァ修道院生神女聖堂(ボゴロディツァ聖堂)になると、聖ニコラ聖堂と同じ単一ドーム形式平面左右に玄関備えるものの、構造切石造となり、扉口外部持ち送りなど、立面は完全にロマネスク建築意匠準拠している。全体の構成ロマネスク建築のように細長くドーム高く造るようになっており、どちらかというとずんぐりした印象ビザンツ的な意匠ではない。13世紀ラテン帝国成立したことにより、西欧影響著しく大きくなると、ラシュカ派の建築は、さらに端正なプロポーション表現することとなる。ステファン・ウロシュ1世寄進により、1250年建設されソポチャニ修道院中央聖堂や、1290年から1307年にかけて建立されたアリリエ修道院において実現された。 ステファン・ウロシュ3世デチャンスキのために1335年建設されデチャニ修道院中央聖堂は、ラシュカ末期作品で、傑作と呼ぶに値する正教会よるものではなくフランチェスコ会修道士コトルのヴィトゥスが設立した教会堂で、入口彫刻縁取る意匠、窓、持送りなどは、やはりロマネスク建築特徴であるが、外壁の2色の大理石交互に積んでいく手法は特に北イタリア独特のものであり、この建物がいかに西洋的であるかということをたいへん良く示している。

※この「ネマニッチ朝初期のラシュカ派(古セルビア派)建築」の解説は、「東欧諸国のビザンティン建築」の解説の一部です。
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