ネマニッチ朝初期のラシュカ派(古セルビア派)建築
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「東欧諸国のビザンティン建築」の記事における「ネマニッチ朝初期のラシュカ派(古セルビア派)建築」の解説
セルビアの教会堂建築は、主に3つの時代に分類される。第1は、ステファン・ネマニャによって創始されたネマニッチ朝初期の時代で、1170年から1282年までの間を指し、修道院が多く建設されたラシュカ地方の名をとってラシュカ派、あるいは古セルビア派などと呼ばれる。 正教会を奉じたセルビア王国はビザンティン文化の影響下にあったが、この時期の王国はアドリア海のラグーザ(現ドゥブロヴニク)やカタロ(現コトル)などを通じて西ヨーロッパとの交易が盛んであった。加えて、第4回十字軍の派遣によって東ローマ帝国の影響力が著しく低下したこともあって、西欧の影響を強く受けた独特の建築を生み出すことになる。 1168年にステファン・ネマニャが設立したクルシュムリャの聖ニコラ聖堂(スヴェティ・ニコラ聖堂、現在は廃墟)は、内陣の左右に脇玄関を設けるなど、後のセルビア建築で一般的となる特質も見られるが、厚目地の煉瓦積み工法を備えた末期ビザンティンの特徴をおさえている。しかし、1183年頃に建設されたストゥデニツァ修道院の生神女聖堂(ボゴロディツァ聖堂)になると、聖ニコラ聖堂と同じ単一ドーム形式の平面と左右に脇玄関を備えるものの、構造は切石造となり、扉口や外部の持ち送り棚など、立面は完全にロマネスク建築の意匠に準拠している。全体の構成もロマネスク建築のように細長く、ドームを高く造るようになっており、どちらかというとずんぐりした印象のビザンツ的な意匠ではない。13世紀にラテン帝国が成立したことにより、西欧の影響が著しく大きくなると、ラシュカ派の建築は、さらに端正なプロポーションを表現することとなる。ステファン・ウロシュ1世の寄進により、1250年に建設されたソポチャニ修道院中央聖堂や、1290年から1307年にかけて建立されたアリリエ修道院において実現された。 ステファン・ウロシュ3世デチャンスキのために1335年に建設されたデチャニ修道院中央聖堂は、ラシュカ派末期の作品で、傑作と呼ぶに値する。正教会によるものではなく、フランチェスコ会修道士コトルのヴィトゥスが設立した教会堂で、入口を彫刻で縁取る意匠、窓、持送り棚などは、やはりロマネスク建築の特徴であるが、外壁の2色の大理石を交互に積んでいく手法は特に北イタリア独特のものであり、この建物がいかに西洋的であるかということをたいへん良く示している。
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