ネマニッチ朝のセルビア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 21:19 UTC 版)
「ネマニッチ朝」の記事における「ネマニッチ朝のセルビア」の解説
セルビアはネマニッチ朝の時に最盛期を迎えた。セルビア王国は1217年に建国され、1219年にセルビア正教会が設立された。同じ年に、聖サワはセルビアで最初の憲法を発表した。 皇帝ステファン・デュシャンは1346年にセルビア帝国の建国を宣言した。デュシャンの統治中、セルビアは領土的にも政治的にも経済的にも最盛期を迎え、ビザンツ帝国の後継者であると宣言し、当時バルカン半島で最も強力な国家だった。ドゥシャン法典として知られる広範な憲法を制定し、新しい交易路を開拓し、州の経済を強化した。セルビア中世の政治的アイデンティティは、この王朝の支配と、セルビア正教会によって支援され育てられた成果によって、深く形作られてきたのである。 ステファン・デュシャンはトルコの脅威に対抗するために教皇との十字軍を編成しようと試みたが、1335年12月に突然死亡した。帝国は息子のウロシュに引き継がれたが、ウロシュは弱者と呼ばれ、帝国も徐々に封建的な分断に陥っていった。これは、アジアからヨーロッパに拡がり、ビザンツ帝国を征服し、その後バルカン半島の他の国々を征服するオスマン帝国という新たな脅威によって特徴づけられた時期だった。
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