ナイト・ストーカー追跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 15:00 UTC 版)
「リチャード・ラミレス」の記事における「ナイト・ストーカー追跡」の解説
リチャード・ラミレスの一連の凶行を、捜査に当たったロサンゼルス郡保安官事務所が正式に連続殺人事件と断定したのは1985年6月、最初の老婦人殺害から実に1年後のことだった。ラミレスが犯行現場に大量の手がかりを残しておきながら、結果として警察の捜査の手を逃れていたのは、従来のプロファイリングが描き出す犯人像に当てはまらないためであった。犯行方法が一貫せず、犠牲者の人種や年齢や性別にばらつきがあった。このため、連続殺人の疑いが早くから持たれていたにもかかわらず、これらの事件を関連付けて捜査することに警察側が躊躇していたのだ。しかし、生存者の目撃情報や、現場に残された各種の証拠品を総合した結果、ロサンゼルス郡保安官事務所は一連の事件を連続殺人犯の仕業と断定。ただちに特捜班を編成した。その後、ロサンゼルス市警察本部も独自の捜査班を設置して保安官事務所の特捜班と合同捜査チームを編成、このチームには連続女性絞殺犯ケネス・ビアンキを追跡したヒルサイド・ストラングラー特捜班の古参メンバーが優先的に投入され、最終的には200人を超える捜査員が専従捜査に当たることになり、市民に情報提供を呼びかける一方、マスコミを利用して、犯人を炙り出すため、警察が犯人の正体を掴んでいると匂わす、「プレッシャー作戦」と呼ばれる情報戦を展開。着々と包囲網を狭めていった。 最終的にラミレスが捜査班の網にかかったのは、8月24日の犯行の被害者を始め、多数の近隣住民がラミレスの運転する車を目撃しており、証言が完全に一致したこと、ラミレスの友人が警察に通報してきた特徴が、ナイト・ストーカーのそれと一致したことだった。そして、ラミレスが運転していたと思われる車が乗り捨てられているのが発見されると警察は直ちに車を押収。指紋は念入りに拭き取られていたが、レーザー光線を照射して辛うじてひとつの指紋が検出された。指紋はすぐ、FBIで導入されたばかりの最新の指紋検索データベースにかけられた。報道や映画などでは「わずか数分で不法侵入と窃盗の常習犯であるラミレスのファイルが表示された」とあるが、実際はFBIのシステムより早くにカリフォルニア州司法省(DOJ)が導入した日本電気製指紋システムに指紋照合が要請され、まだデータを登録作業中だったにも拘わらず、その登録作業を中断し日本電気現地法人のシステム納入チームの責任者である日本人システムエンジニア達が一昼夜かかって指紋照合をしてヒットした。ヒットした指紋は、左手親指の第一関節付け根のものだった。現地法人は、祝賀パーティーを開いたほど喜んだという。 ちなみに、ラミレスの指紋が検索される数日前に、1960年1月1日以降に生まれた犯罪者の指紋情報が新たに追加されたばかりであった。もしラミレスがそれより数か月早く生まれていたら、指紋による身元確認は大幅に遅れ、さらに犠牲者が増えていたと思われる。捜査当局は緊急記者会見を開き、リチャード・ラミレスがナイト・ストーカーであると断定、指名手配を行なうことを発表した。
※この「ナイト・ストーカー追跡」の解説は、「リチャード・ラミレス」の解説の一部です。
「ナイト・ストーカー追跡」を含む「リチャード・ラミレス」の記事については、「リチャード・ラミレス」の概要を参照ください。
- ナイト・ストーカー追跡のページへのリンク