トヨタ加入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 14:42 UTC 版)
2017年は自身の飛躍の年になった一方で、Mスポーツは限られたリソースの多くを王者オジェに注ぎ込んでおり、二番手の扱いに甘んじていた。そこでチャンピオンになれる環境を求め、TOYOTA GAZOO Racing WRT代表のトミ・マキネンからの引き抜きに応じた。これに長年タナックの面倒を見てきたMスポーツのウィルソンは「これほど信頼を寄せたドライバーはいない」と弟子の旅立ちへの痛切な胸の内を語りつつも今後の健闘を祈念した。 2018年開幕戦モンテカルロは移籍直後で完走狙いと語っていたが、いきなりチームメイトのヤリ=マティ・ラトバラを上回る2位表彰台を獲得。また第4戦ツール・ド・コルス終了時点では全ドライバー中最も多くのステージウィンを記録するなど、その速さがフロックではないことを示した。第5戦ラリー・アルゼンチンでは通算100ステージウィンを記録し、そのまま最多ステージウィンで移籍後初、自身3勝目となる優勝を挙げた。第8戦ラリー・フィンランドではパワーステージ1位を同時に獲得しつつ、師であるマルコ・マルティン以来15年ぶりのエストニア人としての同ラリー優勝を果たした。続くラリー・オブ・ターキーでは我慢のラリーを強いられつつも、サバイバルを制して自身初の3連勝を果たした。このままの勢いでチャンピオンになるかと思われたが、残り3戦ではいずれもトップに立つもマシントラブルやタイヤのパンク、さらに自身のミスもあって、年間ステージ勝利数1位にも関わらずタイトルを逃してしまった。一方でトヨタはタナックの大活躍に支えられ、復帰2年目で19年ぶりにマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。 2019年も変わらずトヨタから参戦。チームメイトは昨年に続きラトバラとこの年からチームに加入したクリス・ミーク。開幕戦ラリー・モンテカルロを3位で終え、続くラリー・スウェーデンでは北欧出身ドライバー以外では史上4人目となる優勝を飾る。また、ラリー・フィンランドとの両制覇は北欧出身ドライバー以外では史上3人目。その後3戦はオジェとヌービルの後塵を拝するが、第6戦ラリー・チリと第7戦ラリー・ド・ポルトガルで連勝し、いち早くシーズン3勝目を挙げる。第8戦ラリー・イタリア・サルディニアは終盤までトップを快走していたものの最終ステージでトラブルに見舞われ5位に終わる。しかしタイトルを争うオジェとヌービルも表彰台圏外に終わったことで、サマーブレイク前の時点でランキングトップに立った。そして最終戦直前のラリー・スペインのパワーステージで圧巻の走りを見せ、2位浮上・ステージウィンとともにドライバーズチャンピオンを決めた。エストニア人がFIA世界選手権でチャンピオンとなるのはタナックとヤルヴェオヤが初である。 一方で、ヤリスWRCの信頼性の改善の方針を巡り、マキネンとの意見の食い違いが2018年から断続的に発生。トヨタとの契約延長交渉は難航した。前述のイタリアでの最終SSに加え、トルコでのロードセクションにおけるマシントラブルが決定打となり、これを嗅ぎつけたヒュンダイチーム代表のアンドレア・アダモの誘いに応じた。ラリーGB優勝直後の10月上旬にヒュンダイと契約。ラリースペインのデイ2終了後に英国オートスポーツ誌がヒュンダイへの移籍を報じ、大会終了後の3日後に正式発表された。
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