トクヨと軍人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:19 UTC 版)
体育の世界に入ったことにより、トクヨの人生は軍人との関係が深くなった。金沢で第9師団に乗馬練習のため単身司令部に乗り込んだのが、記録に残る最初の軍人との関係である。乗馬練習中に、将校が部下に号令をかけたがあまりうまくなく、トクヨが代わりに号令をかけたら兵隊は一糸乱れずに動いたというエピソードもある。金沢や高知では近くの師団・連隊の訓練の様子を眺めて軍隊式の体操を授業で行っていた。 特に体専時代は陸軍戸山学校の教官や青年将校、歩兵第1連隊との関わりが多かった。体専に青年将校が来校した際には、授業を中断させて湯茶での接待や生徒のダンス披露などで歓待したため、現場教師の不満の種となった。トクヨの「わが身を国に捧げる」という思いは、献身的な姿勢で教え子に感動を与える一方で、その時々の政策に簡単に引っ張られてしまうという弱点を持っていた。トクヨの人生の末期はまさに戦争に向かっている時代であり、国家主義・国粋主義的な思想を持った「軍国ばあさん」になっていき、トクヨの死後の体専の学生は、「人生とは何ぞや…と考えるより先ず自分の心の雑草を抜く。」という言葉を残しており、トクヨの教えは思考停止装置になってしまった。 トクヨは高知時代に軍人と恋をし、教え子を軍人と結婚させたこともある。一方で、教え子の見合い相手の軍人に対し、「今に軍隊などなくなる時代が来る」と言ったこともあり、軍人に対する見方は首尾一貫したものではなかった。 人生の後半になるとトクヨは教育体操の中に兵式体操が入り込んでくることに反対した。軍隊で行われる兵式体操の目的は号令による統一行動であり、教育体操の目的は個人としてあるいは団体としての日常的な動作を体得することであることから、目的が違うと考えたためである。特に児童や女子に兵式体操を施すならば大いに手加減しなければ真価を発揮できないと述べた。
※この「トクヨと軍人」の解説は、「二階堂トクヨ」の解説の一部です。
「トクヨと軍人」を含む「二階堂トクヨ」の記事については、「二階堂トクヨ」の概要を参照ください。
- トクヨと軍人のページへのリンク