トクヨと女子教育家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:19 UTC 版)
トクヨは他の女子教育の専門家とも交友関係があり、幾人かとやり取りした手紙も残っている。具体的には吉岡彌生(東京女子医学専門学校)、大妻コタカ(大妻女子専門学校)、大江スミ(東京家政学院)、十文字こと(十文字学園)、川村文子(川村学園)らが挙げられる。ある人からは「二階堂さんってなかなかのやり手ね、未だ駆け出しなのにもう専門学校にしてしまった。」と塾の創立からわずか4年で専門学校に昇格させたことをやっかまれたこともあった。 ある日、吉岡彌生が体専に来校した。トクヨが応接室でもてなすと吉岡は「まあ立派なスプーンですこと、まあお見事な菓子器ですこと」と、茶器に比べて貧弱な校舎や学校設備に対して暗に皮肉を言った。その場では軽く受け流したものの、吉岡が帰った後、トクヨは人前で「さんざんからかわれちゃった」と言いながら、吉岡のものまねを披露してうっぷんを晴らした。 またある時には、トクヨは川村文子を訪ねて金の工面を依頼した。川村もお金に苦労していたのでその旨を伝えて断るも、トクヨは川村の付けていたダイヤモンドの指輪に気付いて、「私は恩給もつぎ込んで一文無しですが、そのダイヤは高価なものではありませんか」と食い下がった。川村は「これは肌身離さずつけている記念のものでございますが、何ならこれを金にかえて御用立ていたしましょうか」と応じ、さすがのトクヨも、そこまでは求めていないと恐縮して帰った。このエピソードは、トクヨの死後に川村がトクヨの末弟・真寿に語ったものである。
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