デビューからセリエAでの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 17:09 UTC 版)
「エジムンド」の記事における「デビューからセリエAでの活躍」の解説
1992年、CRヴァスコ・ダ・ガマのユースの試合で中央から4人抜きゴールを決め、数日後Aチームとの練習で監督に認められ、わずか16歳でユースから昇格した。 翌年パルメイラスが獲得、1993年5月22日のフェロヴィアーリア戦の中継で、ゴールを決めた際にあるサッカー解説者がアニマル(野獣)と名付け、以後あだ名として定着した。またラフプレーも多く、レッドカードも少なくなかったため、問題児としても有名になった。1993年、1994年はリンコン、エジウソン、エバイールらと攻撃陣を形成し、2年連続でブラジル選手権優勝に貢献した。しかし、チームメイトの間柄は良好とは言えず、1994年の末にフラメンゴに売却された。 フラメンゴでのロマーリオとコンビはバットボーイズと異名を取ったが、しかしチームはうまく機能しなかった。1997年のブラジル選手権ではサン・ジョアン戦で一人で6ゴールを決めるなど、チームを優勝に導き、自身もその年の得点王に輝くと共にレイナウドの最多得点記録を20年ぶりに更新する活躍を見せた。 1997-98シーズン途中、セリエAのフィオレンティーナに移籍、3月29日のSSCナポリ戦でセリエA初ゴールを決めた。1998-99シーズン、ルイ・コスタ、バティストゥータらと並んで攻撃陣の一角を占めて、第4節ウディネーゼ戦では試合終了直前に決勝ゴールを決めるなど、一時はチームを首位に立たせる活躍をしていたが(最終成績は3位)、終盤で得点源のバティストゥータが故障離脱して危機的な状況の際、「リオのカーニバルに参加するため」ブラジルへ帰国した。元々契約にはカーニバル休暇の条項があったとはいえ、正念場での離脱行為は多くのサポーターやチームメートからの信頼を失った、」またここでも数々の問題を起こし、ヴァスコ・ダ・ガマへ復帰。 2000年に開催された第1回FIFAクラブワールドカップ決勝、コリンチャンス戦ではPK戦で自身がPKを失敗し、優勝を逃したが、マンチェスター・ユナイテッド戦ではロマーリオの先制点をアシスト、さらに巧みなコントロールでDFをかわしゴールを決め、チームを勝利に導くなどの活躍でシルバーボールアワードを獲得した。その後レンタルでサントスや、ナポリでもプレーした。
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