デビューからビクター移籍とは? わかりやすく解説

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デビューからビクター移籍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:27 UTC 版)

渡辺はま子」の記事における「デビューからビクター移籍」の解説

1933年昭和8年)「武蔵野音楽学校」(後の武蔵野音楽大学卒業立松ふさ師事卒業後は、横浜高等女学校(後の横浜学園高等学校)で音楽教師をしていたが、同年ポリドール歌手テストを受け、『山形新聞懸賞入選新民謡最上川小唄」を吹き込むポリドールでは結局この1曲のみで終わった音楽学校在学中指導受けた徳山璉推薦もあり、同年12月ビクターから「海鳴る空」でデビューした1934年昭和9年)、日比谷公会堂開催されるビクター歌手総出演のアトラクション島の娘」に主演のはずであった小林千代子が突然失踪する急遽 渡辺代役抜擢され漁師の娘を演じる。以降ビクター在籍中アトラクションに度々出演し藤山一郎古川ロッパらの相手役務めている。 同年J.Oスタヂオ映画百万人の合唱』に出演するために勤務先横浜高女休んだことが問題になり、保護者らが学校抗議。これが新聞沙汰となる。1935年昭和10年)の秋に教職辞し渡邊ビクター流行歌手に専念することとなる。同年夏川静枝朗読によるハンセン病患者取材した放送劇小島の春」のラジオ主題歌「ひとり静」を歌い、初のヒット曲となる。この曲をきっかけに、渡邊終生通じハンセン病患者病院慰問続けた。特に岡山愛生園では、療養所歌として今も愛唱されている。

※この「デビューからビクター移籍」の解説は、「渡辺はま子」の解説の一部です。
「デビューからビクター移籍」を含む「渡辺はま子」の記事については、「渡辺はま子」の概要を参照ください。

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