デビューからマクロスへ
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プロデビュー作は『闘将ダイモス』のゲストメカデザイン。同時期にタカラのロボット玩具「ダイアクロン」シリーズのデザイン・監修を担当する。先輩宮武一貴の薫陶を受け、『闘士ゴーディアン』『クラッシャージョウ』などの作品で新鋭メカニックデザイナーとして注目され始める。 1982年、スタジオぬえ原作のSFアニメ『超時空要塞マクロス』で初の主役ロボットとなる可変戦闘機バルキリーをデザインし、斬新な変形機構で一躍脚光を浴びる。また、この作品には企画段階から携わり、メカニックデザインと設定監修を中心としつつ、演出を数話担当し、最終回では脚本を手掛けるなど構成・演出面でも個性を発揮し、幅広い活動を行った。1984年の劇場作『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』では石黒昇との共同監督に抜擢される(石黒はおもにスタッフワークなどを担当)。24歳の初監督作にして実力を高く評価され、アニメファン出身の若手世代の旗手とされた。のちに『マクロスプラス』を共同で手がける渡辺信一郎は「マクロスの監督が二十代半ば」という噂を聞いたことがアニメ業界を選んだ理由のひとつと述べている。 劇場版『マクロス』終了後中国奥地の少数民族の村を一人旅し、日本社会とは異なる多様な文化や価値観に触れる。このカルチャーショック体験が以後の創作活動の原動力となる。
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