デビューからフィッシュの脱退まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 21:50 UTC 版)
「マリリオン」の記事における「デビューからフィッシュの脱退まで」の解説
1979年に前身のバンド「シルマリリオン」を結成。1981年に名称を「マリリオン」に短縮した。その時点のメンバーはフィッシュ (ボーカル)、スティーヴ・ロザリー (ギター)、ディズ・ミニット (ベース) 、ミック・ポインター (ドラムス)、ブライアン・ジェリマン (キーボード)。デビュー前にミニットとジェリマンは脱退。ピート・トレワヴァス (ベース)、マーク・ケリー (キーボード)が加入。 1982年にデビュー・シングル「マーケット・スクエア・ヒーローズ」を発表し、1983年にファースト・アルバム『独り芝居の道化師』を発表。その後、ミック・ポインターが脱退し、イアン・モズレイが正式に加入するまでの間、頻繁にドラマーが交代している。 1970年代中盤からプログレッシブ・ロック・ムーブメントは徐々に衰退していき、多くのバンドが解散(キング・クリムゾン、EL&P等)やポップ化といった路線変更(ジェネシス等)を余儀なくされていた。そういった状況下で登場したマリリオンは、音楽の構築美の追求、演劇性の導入といった、いわゆる本格的プログレ・サウンドを引っさげて登場し、とりわけ初期の4作品でその展開と発展を追求したものになっていた。 これらの作品においてマリリオンは、いかにもという神秘的なサウンド、雰囲気漂うアルバム・ジャケット、ストーリー性を重視したコンセプト・アルバム等で、当時では異彩を放つ存在感を見せた。その音楽性は「ネオ・プログレッシブ・ロック」またはポンプ・ロックと呼ばれ、本国イギリスやヨーロッパでは高い評価と人気を得た。とりわけ、1985年のアルバム『過ち色の記憶』は全英アルバムチャートで1位を獲得し、同アルバムからは「追憶のケイリー」(全英2位)、「ラヴェンダー」(全英5位)といったシングル・ヒットも生まれた。だが、その一方で、「1970年代のジェネシスに似た要素が多すぎて独自性が薄い」という非難を浴びせる者も一部には存在した。 1987年のアルバム『旅路の果て』も全英アルバムチャートで初登場2位のヒットとなるが、1988年にフィッシュがバンドを脱退する。
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