デビューからWWEに参戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 10:17 UTC 版)
「TAJIRI」の記事における「デビューからWWEに参戦まで」の解説
大学卒業後金融会社のサラリーマンとして働いていたが、プロレスラーへの夢を断ちがたくアニマル浜口ジムでトレーニングを積みI.W.A.JAPANのテストに合格、同団体にて1994年9月19日に岡野隆史戦でデビューを果たした。当初は不甲斐ない戦いを専門誌からも厳しく批判されるなど苦労を味わったが、青いショートタイツに日の丸ルックで徐々に頭角を現した。 I.W.A.JAPAN退団後、メキシコに渡り、CMLLでルチャリブレの修行を積んだ。帰国後大日本プロレスに、覆面レスラー「アクエリアス」として参戦して、その後、素顔に戻して入団。1997年1月4日には大日本プロレスと新日本プロレスとの対抗戦のため、大日本軍のメンバーとして新日東京ドーム大会で大谷晋二郎と対戦。敗れるも、大舞台のプレッシャーを感じさせない試合を見せた。同年、新日本主催「BEST OF THE SUPER Jr.」に参戦し、大谷との再戦で勝利を収めた。 その後、現役への道を模索するために大日本プロレスを退団。再びメキシコに渡り、CMLLに参戦。1998年の終わりにポール・ヘイマンにスカウトされ、課されたトライアウトをクリアしECWへと移る。スペル・クレイジーとの抗争を通じて一気に人気が高まり、ECWの主要レスラーの1人となった。ECW後期には、TAJIRIがベストタッグ・パートナーと回想するマイキー・ウィップレックとタッグを組み、シニスター・ミニスターをマネージャーに付けたチーム、アンホリー・アライアンスを結成。末期のECWにおいて異常な人気を誇った。主にFBIと名勝負を繰り広げ、ECWタッグ王座も獲得している。また、スティーブ・コリノやライノらと共に、サイラス・ザ・ヴァイラス率いるザ・ネットワークの一員としても活動した。 2001年にはコンバット・ゾーン・レスリングのマットに参戦し、2月にはデラウェア州のドーバーを舞台にニック・バークを破りCZW世界ヘビー級王座を獲得。この王座は同日にジョン・ザンディグの手に渡った。
※この「デビューからWWEに参戦まで」の解説は、「TAJIRI」の解説の一部です。
「デビューからWWEに参戦まで」を含む「TAJIRI」の記事については、「TAJIRI」の概要を参照ください。
- デビューからWWEに参戦までのページへのリンク