テレビスターへの転身
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1964年に東映京都撮影所所長に復帰した岡田茂が、映画での時代劇製作の打ち切りを宣言して、時代劇を徐々にテレビに移しつつ、任侠路線への転換を推進した。時代劇に関わる片岡千恵蔵や市川右太衛門、月形龍之介ら大物スターや、内田吐夢、伊藤大輔、田坂具隆、比佐芳武らが専属契約を解除され、松田定次や河野寿一、佐々木康らはテレビに移された。 近衛自身は1965年、49歳でテレビに進出。既に全盛期は過ぎていたが、NETテレビ(現・テレビ朝日)で放送されたテレビ時代劇『素浪人 月影兵庫』に主演。近衛の鬼気迫る立ち回りに加えて品川隆二演ずる焼津の半次とのコミカルな掛け合いが人気となり、ようやく茶の間でも人気を得た。素浪人シリーズは高視聴率のとれる人気番組として以降1969年『素浪人 花山大吉』と続いたが持病の糖尿病、高血圧が悪化、1970年末、ドクターストップがかかり一旦終了を余儀なくされる。 息子の松方弘樹が岡田茂の個人預かりだったこともあり、1971年、『日本やくざ伝 総長への道』と『暴力団再武装』の二本のヤクザ映画に出演した後、東映を退社し、フリーとなる。 1973年4月に『素浪人 天下太平』で素浪人シリーズを再開、同年10月には次男・祐樹と共演した『いただき勘兵衛 旅を行く』と継続したが、2年3ヶ月のブランクで既に最盛期の人気を取り戻すには至らず、近衛自身も「愛着はあるが、進歩が無い」と、自らこうしたコミカルな路線からの卒業を申し出てこの作品を最後にシリーズは終了となった。 テレビ出演の傍ら、映画やテレビ時代劇のゲスト、舞台への出演も精力的にこなしている。特に映画では1967年12月公開の大映作品『座頭市 血煙り街道』(監督:三隅研次)に主演の勝新太郎に請われて出演。勝演じる市と雪の降る中で繰り広げた迫真の殺陣シーンが評判となった。
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