チームとドライバーの情報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/29 23:48 UTC 版)
「1995年のイギリスツーリングカー選手権」の記事における「チームとドライバーの情報」の解説
レースではすべてダブルヘッダーミーティングで、各レースでフルポイントが与えられた。例外はイギリスGPサポートラウンド。 ・前年途中でマツダが撤退し、日産も一時的ではあるが、BTCCでの活動を休止した。 ・同年新たにホンダが参戦を開始。運営はチーム・MSD(モーター・スポーツ開発機構)が担当。投入マシンはホンダ・アコードであるが、ベースとなったこの市販車は日本向けではアスコット・イノバーとして販売されていた。ちなみに同年からドイツ・スーパーツーリング選手権(STWカップ)にもこのマシンで参戦した。ドライバーは昨年のシーズン途中までマツダから参戦していたデイビッド・レズリーと昨年のインディペント部門チャンピオンのジェイムズ・ケイの2人であった。同年は参戦初年度であった為か苦戦を強いられたが、翌年ホンダは4勝挙げる好成績を残しており、2019年現在もワークスチームとしての活動を続けている。 ・昨年から参戦したアルファロメオは同年はプロドライブが運営を担当。ドライバーはデレック・ワーウィックがフル参戦し、昨年チャンピオンガブリエル・タルキーニとジャンピエロ・シモーニはスポット参戦だったが、選ばれたラウンドに参戦した。前年圧倒的な速さを見せつけたアルファロメオではあったが、同年は一転して苦戦を強いられた。同年限りでBTCCからアルファロメオは去る事になったが、引き続き本国イタリア・スーパーツーリングカー選手権では成功を修めている。 ・日産やマツダが参戦を取り止める中、唯一日本車メーカーで前年度から引き続き参戦するトヨタは前年まで3年間所属したウィル・ホイがチームを離れたが、引き続きジュリアン・ベイリーとティム・サグデンを起用して参戦した。トヨタも長いBTCC参戦歴を持つが、前年以上に苦戦を強いられる事となりBTCCからは同年限りで撤退した。 ・ウィル・ホイが移籍したルノーチームは同年からウィリアムズが運営を担当。アラン・メニュは2年連続でドライバーズランキング2位を獲得。ホイは前半やや苦戦したが、終盤3勝を挙げ、ドライバーランキング4位まで浮上。ルノーはチームタイトルを参戦3年目にして制覇した。 ・ボルボはセダンタイプの850を投入。ドライバーラインナップの変更はヤン・ラマースに代わりルノーから移籍のティム・ハーベイが加わった。リカルド・リデルは4勝してシリーズ3位。ハーベイも2勝して5位となりチームランキング3位となる好成績を残している。 ・BMWはSTWカップ1994年チャンピオンのジョニー・チェコットと幅広いカテゴリーで活躍しているデビット・ブラバムの2人を起用。一方昨年参戦していたスティーブ・ソパー、ヨハヒム・ヴィンケルホック、ロベルト・ラヴァリーアの3人は同年はJTCCやSTWカップに参戦した為BTCCには参戦しなかった。 ・フォードは引き続きロウズ・スポーツがチームを運営。ドライバーラインナップはアンディ・ロウズがドライバーから引退し、ポール・ラディシッチの新しいチームメイトにはケルヴィン・バートが選ばれた。前年アルファロメオ勢に対抗してチャンピオン争いを展開したフォードだったが、同年は前年に比べるといくらか見劣りしてしまう結果となった。それでもラディシッチとバートは上位に時より食い込み、2人とも1勝ずつ挙げている。 ・プジョーはパトリック・ワッツが残留し、同年はサイモン・ハリソンが新ドライバーとして向かえられた。ワッツは2位と3位をそれぞれ1回ずつ記録している。 ・ボクスホールは所属7年目を向かえるジョン・クレランドと昨年プジョーのインディペンデントチームから参戦していたジェイムス・トンプソンが同チームから参戦した。この間クレランドのチームメイトを務めていたジェフ・アラムはオーストラリアスーパーツーリングカー選手権に参戦した。クレランドは25戦中19戦で表彰台に立ち自身2度目のドライバータイトルを獲得することに成功した。トンプソンもBTCC初優勝を挙げたが、シーズン途中のノックヒルラウンドのテスト中の事故により負傷するアクシデントに見舞われてしまい残りの大会は欠場することになってしまう。この大会には急遽アラムが参戦し、その後シーズン終了までマイケル・ブリッグスがトンプソンの代役として参戦した。 同年は6人のインディペンデントドライバーが参戦。1993年のインディペンデント部門チャンピオンで昨年マツダから参戦していたマット・ニールはチーム・ダイナミックスに戻りフォード・モンデオで参戦。25戦中14戦でクラス優勝を果たして自身2度目のインディペンデントタイトルを獲得した。 ミントモータースポーツから参戦したのは、ホンダから参戦するジェイムス・ケイの弟であるリチャード・ケイ。リチャードもモンデオをドライブし、ニールに次ぐインディペンデント部門の2位を獲得した。 1990年のBTCCチャンピオンのロブ・グラヴェッドは開幕戦のみロイ・ケネディ・レーシングのボクスホール・キャバリエをドライブし、その後第8大会のシルバーストーン戦から再び参戦を再開。フォース・スポーツよりモンデオで参戦した。グラヴェットは次のスネッタートーンでの第1レースでは3位に入賞する活躍を見せた。 フォードのデイラーチームから参戦するチャーリー・コックスもブランズ・ハッチでは5位に入賞を果たしたが、次戦のスラクトーン・サーキットでの第2レースで数回横転しながらコースアウトするクラッシュに見舞われ負傷。後半新しいモンデオを投入したものの、このクラッシュの影響で多くのレースの欠場を余儀なくされた。チャーリーは翌年からこのレースの解説者として活躍した。 ボクスホール・キャバリエで昨年から参戦するナイジェル・スミスとハミッシュ・アーバインもそれぞれのチームから参戦。スミスは3度のクラス優勝を獲得。アーバインもブランズ・ハッチラウンドでクラス優勝を果たしている。 その他では元F1ドライバーのスリム・ボルグッドがマツダ・323F(日本名:マツダ・ファミリアアスティナ)で参戦を検討していたが、参戦することはなかった。
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