チェコスロバキア国鉄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/13 22:39 UTC 版)
チェコスロバキア国鉄(チェコスロバキア国家鉄道。ČSD, チェコ語:Československé státní dráhy、スロバキア語:Česko-slovenské štátne dráhy)は、チェコスロバキアに存在した国鉄事業体。チェコスロバキア共和国の成立にともなって1918年10月28日に発足。チェコスロバキア連邦共和国の分離(ビロード離婚)に伴い1992年12月31日に解体された。
- 1 チェコスロバキア国鉄とは
- 2 チェコスロバキア国鉄の概要
- 3 第二次世界大戦後
- 4 関連項目
チェコスロバキア国鉄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:20 UTC 版)
「ブラチスラヴァ - シトゥーロヴォ線」の記事における「チェコスロバキア国鉄」の解説
1918年チェコスロバキア共和国が樹立されて、その時からプレスブルク - ブダペスト区間は運営機関の所有関係により分離されている。ブラチスラヴァとイペイ川の新たな国境線の区間はチェコスロバキア国鉄(Československé státní dráhy, ČSD)が運営することとなった。この路線はその後もなおブダペスト - ソブ線とともに西ヨーロッパとハンガリーを結ぶ主要幹線であった。 冷戦時代に東側諸国が形成した後に、この路線の重要性は保たれた。東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアとユーゴスラビアの間にバルト海=オリエント特急、メリディアン号、ハンガリア号のような国際列車はこの路線で通行した。電力供給設備は1969年にブラチスラヴァ - シュトゥーロヴォ区間で、1971年シュトゥーロヴォ - ソブ区間で備えられた。
※この「チェコスロバキア国鉄」の解説は、「ブラチスラヴァ - シトゥーロヴォ線」の解説の一部です。
「チェコスロバキア国鉄」を含む「ブラチスラヴァ - シトゥーロヴォ線」の記事については、「ブラチスラヴァ - シトゥーロヴォ線」の概要を参照ください。
チェコスロバキア国鉄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/19 03:34 UTC 版)
「ドイツ国鉄52形蒸気機関車」の記事における「チェコスロバキア国鉄」の解説
チェコスロバキアには戦後185両の52形が残された。チェコスロバキア国鉄(ČSD)はこれらを555.0形として承継、更にソ連国鉄からТЭ形を100両を購入してこれを増備し、戦後自国で緊急量産した1E単式2気筒テンダー機の534.03形などと共に運用した。 555.0形は自国設計・製作による534.03形よりも好成績であった。 555.0形の内9両は1947年~1950年にかけて1520㎜軌間対応に改造の上で555.6形としてウクライナとの国境地帯に配置・使用されたが1962年~1964年に復元、原番号へ戻された。 555.0形の内199両は1963年から重油専燃に改造されて555.3形となり、20~25パーセント程度の高性能化が実現したが戦時代用材の多用などによるボイラーとテンダーの疲弊が早期に進行し問題となった。特に555.3形ではボイラー爆発事故が3回発生しており、石油危機の影響もあって1972年までに廃車された。一方、555.0形もボイラーとテンダーの老朽化問題は深刻で、こちらも1973年までに全廃されている。 なお、ČSDは52形や50形といったドイツ製1E機の性能を高評価しており、これらの使用実績は戦後自国のシュコダとプルゼニの両機関車工場に556.0形としてこれらを基本として近代化した機関車を510両も新造させている。
※この「チェコスロバキア国鉄」の解説は、「ドイツ国鉄52形蒸気機関車」の解説の一部です。
「チェコスロバキア国鉄」を含む「ドイツ国鉄52形蒸気機関車」の記事については、「ドイツ国鉄52形蒸気機関車」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- チェコスロバキア国鉄のページへのリンク