タレント・落語家
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自身もタレントとして活躍。NHKの子供番組『600 こちら情報部』では戸田恵子らとともにレポーターを務める。『THE MANZAI』では景山民夫と組み、「民夫くんと文夫くん」として漫才も披露した。 1983年、立川談志の落語立川流Bコース(芸能人・著名人コース)に入門。立川 藤志楼(たてかわ とうしろう。「とうしろう」は、業界用語の「トーシロー」=しろうとの意味)を名乗り、1988年には真打に昇進した。真打昇進後から1990年代前半にかけて精力的に高座を務め、多くがCD化された。その後しばらく落語家としては休業状態であったが、2006年4月中旬に約10年ぶりで高座に上がった。2008年から新音源によるCDシリーズも発表されている。 2006年にワザオギからCDが発売された際、新宿・紀伊国屋書店2階のミュージックテイトでは「発売直後の週間売り上げ枚数が宇多田ヒカル」を抜いた」と発表された。宇多田ヒカルが新盤の発表前であったことや、この店が落語・お笑い関係のCDやカセットテープに力を入れている。 学生時代に青島幸男か永六輔に弟子入りしようとした。永には弟子入りを志願する手紙を送るが、「僕は弟子を取るつもりはありません。お友達になりましょう」との返信が来て断念している。高田が放送作家になり、15年後に永に対面した際にこの件を話したところ、「今からでも遅くありません。弟子になってください」との手紙が後日届いたが高田は「自力でなんとかなった」と断っている。2014年に「永六輔、高田文夫。幻の師弟・初のふたり会」を開催している。後に永の孫である永拓実が高田のラジオ番組にゲストに来た際、拓実が「僕を弟子にしてください!」と直訴するも、高田は「友達ならなりましょう」と返した。 芸人にならなかった理由として、「売れてなくても芸が下手でも、年功序列で『○○兄さん』とヨイショしなければならないことが苦痛に感じるから」と語っている。 東京ボーイズに加わって舞台に立つ場合は「ニュー東京ボーイズ」となる。 『たけし・逸見の平成教育委員会』第1期「生徒」として、セミレギュラー出席していた。『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』は1989年にスタートし、現在も続く長寿番組となっている。
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