タイで居酒屋を開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 03:57 UTC 版)
1982年(昭和57年)頃、踊りの方の仕事もなくなった時に、タイ人のムエタイの選手と結婚する。その時真理子は49歳で相手は39歳の年下男性で、東南アジアで一人で生きていく真理子のボディガードも務めた。その夫も酒で体を壊し1996年(平成8年)に亡くしたが、夫が愛人に産ませた二人の子供を引き取って育てる。そのうちタニヤ通りにある日本人オーナーから、自分の持っているカラオケクラブの雇われママを頼まれる。その店で4年ほどママを務めた後、閉店することになったが、真理子は馴染みとなった客のために日本人駐在員が多く住むスクムウィット通りに、新しくタイ料理店を開く。店は一時はタイ人の従業員を20人も抱えるくらい盛況だった。その他に副業として日本人用にアパートの部屋貸しなどもやって生活をしのいだ。その後1991年(平成3年)5月に、移転と同時に店名を『まりこ』として居酒屋を開業する。店の内観は日本の居酒屋と同じ作りで、日本人駐在員の憩いの場となった。バンコクのフリーペーパーにて人生相談をする『愛の泥んこ道』というコラムを連載、主にタイに住む日本人相手に、恋愛などの悩みの助言をした。 1986年(昭和61年)、ダンサーとしては完全に一線を退いた。 ベトナム戦争末期に日本人ジャーナリストたちから慕われた真理子に、劇作家の斎藤憐が興味を持ち、ミュージカル、『ソング・オブ・サイゴン』の台本を書き上げ、1992年(平成4年)2月にPARCO劇場で上演された。主役の真理子役は鳳蘭が演じた。観劇の為、日本に帰国した真理子は鳳蘭と対面している。このミュージカルは1993年(平成5年)10月、新神戸オリエンタルシティでも上演された。 2016年(平成28年)の春、店を閉店して帰国、それ以降、日本に住んでいる。
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