タイとミャンマーの国境地域とは? わかりやすく解説

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タイとミャンマーの国境地域

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 14:19 UTC 版)

モン族 (Mon)」の記事における「タイとミャンマーの国境地域」の解説

その後大半モン族南下続け現在の居住地域であるタイとミャンマーの国境地域に到るミャンマーに於いては植民地時代コンバウン朝反抗するため支配者側であるイギリス支援した第二次世界大戦後イギリスミャンマー周辺地域植民地から手を引くと、モン族独自の王国復古させようとする傾向現れている。ミャンマーの軍事政権はこれを認めずモン族ミャンマー連邦構成民族1つであるとして、連邦内の他の民族の復国運同様に取り締まり行っている。カレン族その他の民族連携して独立闘争を行うも、現在は運動沈静化している状況にある。なお、この間モン族タイ国境地域への南下続いており、特に軍事政権初期ミャンマー国内内乱状態に陥った際、タイ北部逃れたカレン族シャン族同様、数多く難民タイ側へ脱出している。そのため、国境挟んで生活しているが親戚関係にあるという例は、モン族その他の民族多く見られるタイでは、同じ上座部仏教信仰する平地民族であることから同化する傾向激しくタイ王国ではほとんどのモン族同化した。上述のようなミャンマー難民であるモン族に対しては、タイ政府比較寛容である。冷戦期東南アジアにおいて西側属することを一貫して固持しタイ政府は、周辺諸国共産主義化鎖国化を進めるなかで、難民多く受け入れている。内情をよく知る難民から情報を得るとともに当時タイ政府未知であったタイ辺境地域防衛当たらせることが目的であったといわれている。 1947年に、伝説によりモン族建国記念日作られた。モン太陰暦11月満月である。ただしこの建国記念日タイ王国サムットプラーカーン県プラプラデーンモン族の間では祝われない。

※この「タイとミャンマーの国境地域」の解説は、「モン族 (Mon)」の解説の一部です。
「タイとミャンマーの国境地域」を含む「モン族 (Mon)」の記事については、「モン族 (Mon)」の概要を参照ください。

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