セルビア人国家の隆盛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > セルビア人国家の隆盛の意味・解説 

セルビア人国家の隆盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 04:43 UTC 版)

コソボの歴史」の記事における「セルビア人国家の隆盛」の解説

コソボ12世紀後半から次第セルビア人国家一部となっていった。13世紀イヴァン・アセン2世在位1218年 - 1241年)の下で第二次ブルガリア帝国勢力拡大しコソボ大部分一時的にブルガリア領域一部となったが、その死後ブルガリア支配コソボには及ばなくなったその後有力なセルビア人国家であったラシュカ公国支配下入り1346年から1371年までセルビア帝国一部となった1389年コソボの戦いでは、セルビア大公ラザル・フレベリャノヴィチオスマン帝国の軍に敗れ1455年最終的にコソボオスマン帝国の支配となった12世紀までセルビア統一され国家ではなく複数独立勢力割拠する状態であり、中でもラシュカ公国とドゥクリャ公国が最も大きな力を持っていた。1180年代ラシュカ公国大公となったステファン・ネマニャがドゥクリャとコソボ一部支配権獲得したステファン・ネマニャ後継者であるステファン・プルヴォヴェンチャニは1216年コソボ残され部分統治権確保し現在のセルビアおよびモンテネグロ相当する地域大部分支配下収めた。これによってステファン1217年ホノリウス3世より王の称号与えられている。また、ステファン・ネマニャ末子アトス山修道士となり、後の1219年セルビア正教会設立し、その初代大主教サヴァとなったサヴァコソボ西部ペーチ大主教座を置いたネマニッチ朝(Nemanjić)の統治下では、数多くセルビア正教会聖堂修道院セルビア領域内に建てられた。ネマニッチ朝支配者らはプリズレンプリシュティナをその首都とした。今日コソボ西部メトヒヤ)では広大な領地修道院献じられた。コソボ有名な宗教建築物コソボの中世建造物群として世界遺産登録された、ペーチペーチ総主教修道院やグラチャニツァ(Gračanica)のグラチャニツァ修道院、デチャニのデチャニ修道院などは、いずれもこの時代造られたものである現在のコソボ首都となっているプリシュティナはかつて、ギリシャからアドリア海地方を結ぶ交通の要衝であり、コソボ経済的に重要な土地であった鉱業重要な産業であり、ノヴォ・ブルド(Novo Brdo)やヤニェヴォ(Janjevo)には鉱夫サクソン人入植者や、ドゥブロヴニク商人共同体があった。1450年、ノヴォ・ブルドの鉱山では毎年6千キログラムの銀を採掘していた。 ネマチッチ朝のセルビア人国家は、ステファン・ウロシュ4世ステファン・ドゥシャン)の時代最盛期迎え、彼は皇帝即位しセルビア帝国となったが、1355年皇帝死後には衰退し複数半独立領主による群雄割拠の状態となる。この時、コソボ地域大部分は、ヴク・ブランコヴィッチ(Vuk Branković)の支配下となったアナトリアからヨーロッパ侵入し拡大続けていたオスマン帝国は、セルビア人国家分裂機に乗じて、バルカン中央部への侵攻始めたセルビア修道院保存している金印勅書によると、この当時コソボ民族構成は、セルビア人アルバニア人ヴラフ人のほか、一定の規模持った少数民族としてギリシャ人アルメニア人サクソン人ブルガリア人などであった勅書記された名前の多くスラヴ風の名前であり、この当時コソボ多数派占めていたのはスラヴ人であったことを示唆している。同様の事実は後の1455年オスマン帝国徴税所の記録(デフテル Defter)にも見ることができ、言語と宗教記されたこの記録からは当時コソボではセルビア人多数派であったことが示されている。中世ヨーロッパ民族意識流動的なものであり、当時の人々確固たる特定の民族意識持っていたとはいえないが、スラヴ人、特にセルビア人文化的背景持った人々当時コソボでは多数派であった考えられる

※この「セルビア人国家の隆盛」の解説は、「コソボの歴史」の解説の一部です。
「セルビア人国家の隆盛」を含む「コソボの歴史」の記事については、「コソボの歴史」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「セルビア人国家の隆盛」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「セルビア人国家の隆盛」の関連用語

セルビア人国家の隆盛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



セルビア人国家の隆盛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのコソボの歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS