セルビア人に対する攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/27 05:12 UTC 版)
「コソボ暴動 (2004年)」の記事における「セルビア人に対する攻撃」の解説
暴力はコソボの他の地方にも飛び火し、多くのセルビア人の集落や宗教的・文化的象徴がアルバニア人の群集によって破壊された。破壊された中には、票目上はKFORの保護下となっていた場所も含まれる。暴動の間、8人のセルビア人が殺害された。 攻撃を受けた場所の一例 ベロ・ポリェ(Belo Polje): 帰還したセルビア人が攻撃を受けた チャグラヴィツァ: 11人のセルビア人の家屋が放火され、5人のセルビア人が殺害された。17人のスウェーデン軍兵士が負傷した。 フシェ・コソヴァ / コソヴォ・ポリェ(Fushë Kosova / Kosovo Polje): セルビア人の家屋と病院が放火された。; リピャン / リプリャン: KFORとアルバニア人の間で銃撃戦が起こった。4人のセルビア人が殺害され、残ったセルビア人は正教会の聖堂に避難したが、その聖堂も攻撃された ペヤ / ペーチ: 暴動の中で国連職員が攻撃を受けた。1人のアルバニア人が国連警察によって死亡した。 プリシュティナ: 残されたセルビア人は全て避難するか追放された。 ジラン / グニラネ(Gjilan / Gnjilane): 残されたセルビア人は全て避難するか追放された。 ツェルニツァ(Cernicë / Cernica、ジラン / グニラネに近いセルビア人の集落): 3人のセルビア人が殺害された。 フラシェル / スヴィニャレ(Frashër / Svinjare、ミトロヴィツァ / コソヴスカ・ミトロヴィツァ近くのセルビア人の集落): 4人のセルビア人が殺害された。 カストリオティ / オビリチ: セルビア人の家屋が放火され、全てのセルビア人が追放された ヴィティア / ヴィティナ(Vitia / Vitina): KFORのアメリカ軍部隊に守られたセルビア正教会の聖堂が攻撃され、司祭が負傷した。アルバニア人の群集はアメリカ兵に投石し、多くのセルビア人の家屋に放火した。 ドライコヴツ / ドライコヴツェ(Drajkovc / Drajkovce、シュテルプツァ / シュトルプツェ Shtërpca / Štrpce近くの村): 2人のセルビア人が殺害された。 グラブツ / グラバツ(Grabc / Grabac、セルビア人の村): ほとんどのセルビア人がイタリア兵によってオソヤン / オソヤネ(Osojan / Osojane)に避難させられ、村の一部は攻撃を受けた。 3月18日、セルビア正教会は、コソボにある多くの教会や聖堂が群集によって損傷され、または破壊されたと述べた。その中には以下のものが含まれる。 プリズレン:リェヴィシャの生神女教会 大聖堂、12世紀に建造された。3月17日に焼失。 聖なる救い聖堂(Sveti Spas)、14世紀建造。 聖神品致命者ゲオルギ大聖堂(Sv. velikomučenika Đorđa):1998年建造、14世紀の生神女のイコンや18世紀のイコノスタシスを有する 聖大天使修道院: 14世紀建造。 ルノヴィッチ・聖ゲオルギ聖堂: 15世紀建造、16世紀のイコノスタシスを有する。 ラシュカ=プリズレン大司教座 聖キリル・メトディ神学校: 1880年建造。略奪を受ける。 ペヤ / ペーチ:前駆受洗聖イオアン聖堂(Svetog Jovana Preteče i Krstitelja): 3月17日にペチカ・バニャ(Pećka Banja)村にて放火される ベロ・ポリェ(Belo Polje)村に19世紀に建てられた聖ニコライ聖堂 ジャコヴァ / ジャコヴィツァ(Gjakova / Đakovica):主の昇天聖堂(Uspenja Gospodnjeg)、19世紀建造。神品の居住施設とともに3月17日に放火された。 1999年に破壊された至聖三者聖堂の遺構がさらに破壊された フェリザイ / ウロシェヴァツ(Ferizaji / Uroševac): 皇帝聖ウロシュ聖堂 フシェ・コソヴァ / コソヴォ・ポリェ:ミラの聖ニコラオス聖堂、19世紀建造。 ブレシェ(Bresje)村の聖エカテリナ聖堂、19世紀建造。 ジラニ / グニラネ: 聖ニコライ聖堂、1861年建造。 プリシュティナ: 聖ニコライ聖堂、19世紀建造。損壊され、略奪された。 ヴシュトリ / ヴチトルン(Vushtrri / Vučitrn): 聖エリヤ聖堂、焼失。 ミトロヴィツァ / コソヴスカ・ミトロヴィツァ(南側): 聖サヴァ聖堂、3月18日の朝に放火され、隣接する墓地が荒らされた スケンデライ / スルビツァ: デヴィチュ修道院(Devič)、修道女らはデンマーク軍によって避難させられた。修道院は略奪され、放火された。 シュティメ / シュティムリェ(Shtime / Štimlje): 聖天使首ミハイル聖堂、3月19日に放火された。 ラホヴェツィ / ホラホヴァツ(Rahoveci / Orahovac): ベラ聖堂とブルニャク村の聖堂が焼失。 ヴィティア / ヴィティナ(Vitia / Vitina): 2つの聖堂が破壊された カストリオティ / オビリチ(Kastrioti / Obilić): 聖堂が放火された
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