ズールー族の神話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/19 07:00 UTC 版)
遥か遠い昔、まだ人間の運命が決められていなかった頃、天と地を支配する最高神が、カメレオンとトカゲを呼び、「神の言葉」を地上の人間に伝えるように命じた。 カメレオンには、人間に「お前達は永遠に生きることが出来る」と伝えるように。 トカゲには、人間に「お前達は必ず死が訪れる」と伝えるように。 カメレオンとトカゲは、神の使いとして地上の人間に「神の言葉」を伝えるべく出発したが、途中でカメレオンは寄り道をしてしまった。 カメレオンが人間の元に辿り着いたときには、すでにトカゲが「神の言葉」を人間に告げてしまっていた。 それから人間はいつか必ず死が訪れる運命になった。 この説話において、トカゲとカメレオンの対比は、どちらも爬虫類であり、似たような姿でありながら、一方のトカゲは色が変化せず(不変=石=神)、もう一方のカメレオンは色が変化する(変化するもの、移ろい行くもの=バナナ=人間)ことの対比であると考えられる。 この説話のパターンはイソップ寓話の「ウサギとカメ」を想起させる。「ウサギとカメ」にこの説話の内容を当てはめた場合、ウサギがカメレオン(人間に(本来は)不死をもたらす(はずの、可能性のある)存在、もしくは人間そのもの)で、カメがトカゲ(人間に死をもたらす存在=(双対の原理により)神に不死をもたらす存在、もしくは神そのもの)に相当する。ウサギとカメが(不死をめぐって)競うということは、カメの勝利とウサギの敗北は、神が不死を獲得し、人間には死が与えられることを意味することになる。 これらは、厳密には、「バナナ型神話」ではなく、「二人の使者」または「間違えた使者」と呼ばれるタイプの説話である。ただ、そうした分類は、近現代西洋人によるものであって、当の古代人にしてみれば、そうした分類などなく、これらは文化の伝播過程において、共通要素を持ちつつも、少しづつ変化し遷移してきた、一連の亜種・派生の群である。 とはいえ、明らかな違いとしては、「バナナ型神話」は、停止した場所で選択行為が行われるが、「二人の使者/「間違えた使者型説話」では、移動過程(とその結果)そのものが選択行為である。 プロメーテウスやカメレオンなど、本来は人間に利や不死をもたらすはずの存在が、(裏目に出て・失敗して・あるいは必然として)、結果的に人間に死をもたらすという、矛盾をはらんだ存在となっている。 さらに、この「二人の使者」型の説話は、単純化されて、(競争相手がいなくなって)使者が一人になり、「間違えた使者」型の説話となる。 「間違えた使者」型説話では、創世記のような「選択肢を提示はするが一方の選択を予め禁止する」という方法からさらに進んで、最初から人間側に不利益となる選択肢は明示されず、神は人間に不死を与えようとするだけであり、バナナ型神話のような二者択一という形はとってはいない。しかし、その結果は明らかであり、人間側は予定調和的に必ず失敗して、双対の原理により、「不死とは対極にある死」を与えられるのであるから、「石かバナナか」「不死か死か」の選択肢は、省略されているものの、「成功か失敗か」の形で、暗示されていると考えるべきであろう。
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