スポンサー・プロデューサーであるアロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:09 UTC 版)
「フェルディナンド・マゼラン」の記事における「スポンサー・プロデューサーであるアロ」の解説
有能な商人であるアロは、マゼランが艦隊の指揮を執ることに決まると、資金調達に奔走する。結局は艦隊の費用の大半をアロとアロが代理を務めるフガー商会が出したと言われる。東洋交易に通じ、商務に長けたアロは船そのものの調達や艤装、艦隊の装備品、武器、食料、交易品などの調達をすべて指揮したと言われる。マゼランとアロが用意した船と装備品・物品のリストは明細で現在に残っている。艦隊は旗艦トリニダード号(110トン)以下、サン・アントニオ号(120トン)、コンセプシオン号(90トン)、ビクトリア号(85トン)、サンティアゴ号(74トン)の中古船5隻に人員は約270人、食料はたっぷり2年分を用意し、主食である航海用ビスケット(堅パン)は21万3800ポンド(約100トン)、塩漬牛肉7万2000ポンド(30トン強)、塩漬豚肉5万7000ポンド(約25トン)、エジプト豆1万80ポンド(5トン弱)、ほか塩漬魚、アンチョビ、干し豆、干しぶどう、干しイチジク、米、蜂蜜、ナッツなど。ワインも船員1人に一日に1パイントの割り当てで2年分の用意をしている。香料との交易品としては銅2万ポンド(10トン弱)、水銀2100ポンド(約1トン)、ドイツ製の小刀4800本、鏡1000個、鋏600個、櫛1500個、鈴1800個、水晶500ポンド、銅や真鍮の腕輪挿み4000個、釣り針1万本、色布1万束など。これらの選択は東洋の事情に通じたマゼランとアロの経験に基づいたものであり、東洋でとりわけ喜ばれるものであった。武器も大掛かりに積んでいる。5隻の大砲が合計で71門、火縄銃50挺、槍1000本、兜と甲冑100組、それぞれに360本の矢をつけた大弓60張などである。しかし、これを知ったポルトガルは妨害工作を行い、もともと極めて長期の航海になることが予定され大掛かりな準備が必要だったので当初の見込み以上に手間取り、当初の出発予定の1518年末はもちろん、1519年8月になっても準備は終らなかった。ついにしびれを切らしたスペイン王は1519年8月10日を出帆日と決め、準備が整っていなくとも出発するように命じた。
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