スターリングの来航と日英和親条約とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > スターリングの来航と日英和親条約の意味・解説 

スターリングの来航と日英和親条約(1854年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:53 UTC 版)

幕末の砲艦外交」の記事における「スターリングの来航と日英和親条約(1854年)」の解説

詳細は「日英和親条約」を参照 プチャーチンとその艦隊長崎入港中であるとの情報得たジェームズ・スターリングは、それを捜索拿捕すべく旗艦帆走フリゲート・ウィンチェスターと3隻の蒸気軍艦率いて1854年9月7日、に長崎入港した。すでにプチャーチン長崎にはいなかったが、スターリング英国ロシア戦争中であること、ロシアサハリンおよび千島列島への領土的野心があることを警告し幕府に対して局外中立求めた。このときの長崎奉行水野忠徳であったが、もともと水野ペリーとの交渉のために長崎派遣されていた(幕府ペリー次回交渉時には長崎に行くように伝えていた)。このため水野スターリング外交交渉のための来航考え幕府許可求めたスターリング同年3月日米和親条約締結されたことを米海軍より入手していたが、外交交渉任務含まれていなかった)。江戸幕府許可得た水野忠徳及び同目付永井尚志同年10月14日嘉永7年8月23日)、日英和親条約調印したスターリング外交交渉を行う権利有しておらず、かつ本国からの指示受けていなかった。しかし、日本北方ロシア海軍との交戦を行うためには、日本での補給可能にすることには大きなメリットがあり、本国追認した。 艦名艦種建造トン数乗組員機関出力備砲ウィンチェスターWinchester 帆走フリゲート 1822年 積載量1487トンbmトン45042ポンド砲x16カロネード砲x824ポンドx36 エンカウンターEncounter 蒸気スクリューコルベット 1846年 積載量953トンbmトン排水量1934英トン 不明 360NHP 14主として32ポンド砲) スティックスStyx 蒸気外輪スループ 1841年 積載量1054トンbmトン排水量1379英トン 160 280NHP 10インチ砲 x 2(旋回式)42ポンドx 4 バラクータBarracouta 蒸気外輪スループ 1851年 積載量1053トンbmトン排水量1676英トン 不明 300NHP 68ポンド砲x210インチx4

※この「スターリングの来航と日英和親条約(1854年)」の解説は、「幕末の砲艦外交」の解説の一部です。
「スターリングの来航と日英和親条約(1854年)」を含む「幕末の砲艦外交」の記事については、「幕末の砲艦外交」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「スターリングの来航と日英和親条約」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スターリングの来航と日英和親条約」の関連用語

スターリングの来航と日英和親条約のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スターリングの来航と日英和親条約のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの幕末の砲艦外交 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS