スターリングの来航と日英和親条約(1854年)
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「幕末の砲艦外交」の記事における「スターリングの来航と日英和親条約(1854年)」の解説
詳細は「日英和親条約」を参照 プチャーチンとその艦隊が長崎に入港中であるとの情報を得たジェームズ・スターリングは、それを捜索・拿捕すべく旗艦の帆走フリゲート・ウィンチェスターと3隻の蒸気軍艦を率いて1854年9月7日、に長崎に入港した。すでにプチャーチンは長崎にはいなかったが、スターリングは英国とロシアが戦争中であること、ロシアがサハリンおよび千島列島への領土的野心があることを警告し、幕府に対して局外中立を求めた。このときの長崎奉行は水野忠徳であったが、もともと水野はペリーとの交渉のために長崎に派遣されていた(幕府はペリーに次回の交渉時には長崎に行くように伝えていた)。このため、水野はスターリングも外交交渉のための来航と考え、幕府に許可を求めた(スターリングは同年3月に日米和親条約が締結されたことを米海軍より入手していたが、外交交渉は任務に含まれていなかった)。江戸幕府の許可を得た水野忠徳及び同目付永井尚志が同年10月14日(嘉永7年8月23日)、日英和親条約に調印した(スターリングは外交交渉を行う権利は有しておらず、かつ本国からの指示も受けていなかった。しかし、日本の北方でロシア海軍との交戦を行うためには、日本での補給を可能にすることには大きなメリットがあり、本国も追認した。 艦名艦種建造年トン数乗組員機関出力備砲ウィンチェスターWinchester 帆走フリゲート 1822年 積載量1487トン(bmトン) 450 無 42ポンド砲x16カロネード砲x824ポンド砲x36 エンカウンターEncounter 蒸気スクリューコルベット 1846年 積載量953トン(bmトン)排水量1934英トン 不明 360NHP 14(主として32ポンド砲) スティックスStyx 蒸気外輪スループ 1841年 積載量1054トン(bmトン)排水量1379英トン 160 280NHP 10インチ砲 x 2(旋回式)42ポンド砲 x 4 バラクータBarracouta 蒸気外輪スループ 1851年 積載量1053トン(bmトン)排水量1676英トン 不明 300NHP 68ポンド砲x210インチ砲x4
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