ジョン・ハーヴェイ号事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 00:56 UTC 版)
「バーリ空襲」の記事における「ジョン・ハーヴェイ号事件」の解説
破壊された船舶の1隻、アメリカ合衆国リバティ船ジョン・ハーヴェイ号(英語版) (John Harvey) は、マスタードガス爆弾M47A1(英語版) 2,000発(1発当たりのマスタードガス容量は30 - 35 kg)を極秘の貨物として運んでいた。この貨物は、ドイツ軍がイタリアで化学兵器を使用した場合の報復攻撃のためにヨーロッパへ送られたものだった。ジョン・ハーヴェイ号が破壊されると、液体のマスタードガスが、損傷した他の船から流出した油の混じった海水中に漏れ出した。乗っていた船から海に逃れた多くの船員が、マスタードガスの理想的な溶媒の状態になっていた油混じりの海水にまみれることになった。また、マスタードガスの一部は蒸発し、煙と炎の雲に混じっていった。負傷者は水から引き上げられて医療施設に送られたが、マスタードガスのことを知らなかった。医療スタッフは爆発や火災による負傷者に集中しており、ただ油にまみれただけに見えた者はほとんど注目されなかった。この時、低濃度のマスタードガスに長時間さらされた多くの負傷者は、単純な入浴や衣類の着替えで症状を軽減できた可能性がある。 その日の内に、628名の患者と医療スタッフに、失明や化学やけどなどのマスタードガスの中毒による最初の症状が現れた。さらに、ジョン・ハーヴェイ号の貨物の一部が爆発したときに、マスタードガスの蒸気が市街上空に漂ったため、中毒を起こしたイタリア民間人数百人が治療を求めて殺到し、事態はさらに混乱することとなった。医療現場が混乱しても、症状の原因についての情報は少なかった。アメリカ合衆国軍司令部は化学兵器の存在をドイツ軍に対し秘匿しておきたかったためである。ジョン・ハーヴェイ号の乗組員もほぼ全員が死亡していたため、救急隊員が気づいた「ニンニクのような」臭いの理由を説明できる者はいなかった。 謎の症状についての説明のために、副軍医総監フレッド・ブレッシーは化学兵器の専門家のスチュワート・フランシス・アレグザンダー中佐を派遣した。アレグザンダーは患者が空襲を受けた時にいた位置を丹念に集計し、その分布の中心にジョン・ハーヴェイ号がいたことを知り、さらにアメリカ合衆国軍 M47A1 爆弾の容器の破片を見つけてマスタードガスが原因物質だと確信した。 その月の終わりには、入院していた628名の軍人の内83名が死亡した。民間人の犠牲者数はこれより多いと思われたが、多くが親類の避難先を求め街を離れたため、正確に数えることができなかった。 アメリカ合衆国海軍駆逐艦ビステラ (USS Bistera) は、空襲の間に軽度の損傷を受けたが、海中の生存者を救助しつつ港外へ出た。その夜の内に艦の乗組員で失明と化学やけどの症状を示す者が現れた。駆逐艦ビステラはターラント港へ戻って行った。
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