ジョナサン・フォックスとプレイバックシアター
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「プレイバックシアター」の記事における「ジョナサン・フォックスとプレイバックシアター」の解説
1973年6月 コネチカット州ニューロンドン市でカンパニー”It's All Grace"をジョー・サラほかと結成。野外での自作演劇や小さな代替小学校で子どもたちのための演劇を支援。 1973年11月 モレノ研究所で自発性と創造性、グループの養成、個人の存在そのものへの畏敬、ドラマでの感情のもつ力の大切さを学ぶ。 1973年〜1974年 コネチカット大学演劇学教室で演出担当。アメリカダンス祭での実験演劇、ニューヨーク市民センターで、マジョリー・シグレーと協力し、若者たちの演劇を支援。 1974年 観客の個人的な現実に基づいた話を即興劇にするというアイデアを着想。"It`s All Grace"でこの新しい考えに基づいた即興劇に実験的に取り組む。さらに、1年モレノ研究所で学ぶ。 1975年9月 モレノ研究所のスタッフになり、専門誌や書籍を編修。家族でニューヨーク州ニューポールツに転居。 1975年11月 新しいカンパニーの活動開始。 1975年12月 新しいカンパニーに「プレイバックシアター」と命名。当初は家族と友人のために公演。 1976年1月 学術大会、総合病院小児病棟で、また、市の公園でのお祭りや協会の教区ホール等で公演。 1979年 メルボルンの大学教授がオーストラリアに彼と劇団員を招待。その後、オークランドとウエリントン(ニュージーランド)、メルボルンとシドニー(オーストラリア)でプレイバックシアターのカンパニーが誕生。 1980年 イタリアに招待され、プレイバックシアターを指導。その後毎夏研修会開催。 1989年 IPTN(国際プレイバックシアターネットワーク)立ち上げ。 1990年 ジョー・サラがハドソンリバー・プレイバックシアターを設立。 1991年 IPTN世界大会、オーストラリアで開催。その後、フィンランド、アメリカ、イギリス、日本などで開催。 1993年 スクール・オブ・プレイバックシアターをニューヨーク州に設立。 1998年 スクール・オブ・プレイバックシアター日本校設立。 1999年 ニューヨークのスクールはコミュニティ育成と奨学制度の充実のための事業を開始。 プレイバックシアターは50ヶ国以上で、企業、学校教育、地域社会など広い分野で個性化教育やいじめ防止、対話の促進、問題地区での和解や相互支援などを目的に活動中。 (2006年、国際サイコドラマ学会の招待特別講演で、ジョナサン・フォックスが紹介した"Playback Theatre stat-up time line"を参考に作成。)
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