システム化の時代
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1977年、日本の望遠鏡生産額が史上初めて100億円を突破した。このような好況の中、日野金属は1978年にAR・SP両赤道儀を発売。これらは、同社初の本格的システム赤道儀であると同時に、我が国における天体望遠鏡のシステム化の先駆けであった。これに続き、鏡筒の機種数拡大に乗り出したほか、汎用プレートやガイド用マウントなどオプション製品の拡充を開始。ARシステムが最大となった1983年時点では、自社製品だけで4572通りの組み合わせのシステムが可能だったとされている。このAR赤道儀は、3度にわたるモデルチェンジを経つつ、実質的に20年間販売された。 また、1960年代から続くレジャーブームの隆盛を背景に、三菱自動車工業による天体観測車両の開発に参画。最終的に、三菱・デリカハイルーフをベースとした車体にミザール・カイザー型ベースの屈折赤道儀を装備した「ウルサマジョール」(おおぐま座の意;二重星ミザールの属する星座である)、および、三菱・ミニキャブハイルーフをベースとした車体にミザール・AR-100SL(後述)ベースの反射赤道儀を装備した「ウルサマイノール」(こぐま座の意)の合計2モデルが完成し、1979年開催の第23回東京モーターショー(東京・晴海)において同時発表された。両モデルは、天体観測を目的に設計された自動車としては、約4年後の1983年に初号機が市場投入される五藤光学研究所の移動天文台「アストロカー」と並ぶ、日本における最初期の試みとなった。 1981年には、国内メーカーによる光害シャットフィルターとしては最初期のものにあたる「μ(ミュー)フィルター」を発売した。 1982年には、反射鏡筒120SLに、整形誤差λ/20以内を保証したRS20シリーズをラインナップ。圧倒的な高精度と、欧米の流行を取り入れたカラフルな鏡筒が話題を呼ぶことになった。 1983年には、新式のカタディオプトリク光学系を独自に開発(PAT.S-62-33570)。「月刊天文ガイド」はこの光学系について、「いくらか糸巻き型の歪曲が残っている」としつつも、「色消しは非常に良好」と評している。「アルテア」の名称で市販された。
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