シェフィールドとロンドンの関係
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「シェフィールド・ルール」の記事における「シェフィールドとロンドンの関係」の解説
「ロンドン対シェフィールド (1866年)」を参照 フットボール・アソシエーション(FA)は、1863年10月26日に、ロンドン・グレート・クイーン・ストリートにあるフリーメイソンズ・タバーンでの会合で結成された。シェフィールドFCはオブザーバーとして4名の代表を送った。シェフィールドFCは一ヶ月後にWilliam Chestermanが送った書簡によってFAに加入した。この文書に、Chestermanはシェフィールド・ルールズの写しを同封し、ハッキングとボールを持って走る行為(ランニング)を「フットボールに直接反する」と表現し、これらに反対するクラブの立場を表明した。この書簡は1863年12月1日のFAの会合で読み上げられた。ハッキングとボールを持ったランニングを許容する規則は同会合で覆された。FAによる新たなコードはアソシエーション・フットボールと呼ばれるようになった。 オフサイドルールは1863年にシェフィールド・ルールに導入された。シェフィールド・ルールにおけるオンサイドの条件は、選手と相手側のゴールとの間に相手選手が1名だけいればよいというものであった。選手が常にボールの後方に位置する必要があったFA版のオフサイドルールが1865-66シーズン中に導入されたが、このルールは得点機会を奪ってしまうため好まれなかった。結局、1877年にFAの規則が採用されるまで、1867年からは1人制オフサイドルールが使われた。 FAは規則を作成した後の大部分は休眠状態にあったが、1866年にシェフィールドFCがFAのクラブとの試合を提案した。この提案は誤解を受け、結局1866年3月31日にFAの規則の下でFA連合チームと対戦することに落ち着いた。この試合は90分の試合時間が採用された初めての試合であり、シェフィールドFCは好ましい試合時間としてこれを採用した。この規則は1877年のFAのルールブックに載ることになる。2試合目は11月あるいは同年中にFAからの書簡で提案されたが、行われることはなった。どちらのルールを使用すべきかで論争となったのが理由であった。 FAはシェフィールドが使っていた高さ8フィートのクロスバーを導入し、同年シェフィールドは高さを9フィートに上げることを決定した。また、フェアキャッチもシェフィールドのルールから削除された。これにより、純粋なキッキングゲームへの移行が完了した。 1867年まで、シェフィールド・ルールはイングランドにおいて支配的なコードであった。FAは今日彼らが享受している全国的な支配にはまだ達していなかった。FAの会員はわずか10クラブまで縮小し、FAの会合では3クラブ(N・Nクラブ、バーンズ、クリスタル・パレスFC)のみがFAコードでプレーしていることが報告された。同会合において、シェフィールド・クラブの主事が3つのルール変更を提案した。ルージュと1人制オフサイドの採用、ボールを手で扱ったことに対するフリーキックの導入である。いずれの動議も可決されなかった。同年の終わり頃、シェフィールドはハンドリングとタッチダウンを廃止した。これが彼らを手を使わないゲームへとより近付けたと述べられている。
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