シェファーズタウンとマナサスギャップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 01:46 UTC 版)
「ゲティスバーグからの撤退」の記事における「シェファーズタウンとマナサスギャップ」の解説
ゲティスバーグ方面作戦に関する多くの記述は、リー軍が7月13日から14日に掛けてポトマック川を渡ったところで終わっているが、両軍はラッパハノック川を挟んで2週間近くも陣を払わなかった。両軍の公式報告書はその間の操軍や小規模衝突を含んでいる。7月16日、フィッツヒュー・リーとチャンブリスの騎兵旅団が、北軍歩兵隊のポトマック川渡河を阻止するためにシェファーズタウンの浅瀬を守った。デイビッド・グレッグの騎兵師団が浅瀬に近付いたので南軍がこれを攻撃したが、北軍騎兵隊は暗くなるまでその陣地を守った後に撤退した。ミードはこれを「活気ある競争」と呼んだ。 7月17日から18日に、ポトマック軍はハーパーズ・フェリーとバーリン(現在のブランズウィック)でポトマック川を渉った。北軍はブルーリッジ山脈の東側に沿って前進し、リー軍とリッチモンドの間に入ろうとした。7月23日、ミードはフレンチの第3軍団に対して、南軍にマナサスギャップを抜けることを強制することでフロントロイヤルで撤退する南軍部隊を遮断するよう命令した。夜明けとともにフレンチは緩りとジェイムズ・A・ウォーカー准将の旅団(リチャード・H・アンダーソン少将の師団の一部でストーンウォール旅団)をマナサスギャップに追い込んだ。午後4時半頃、強力な北軍の攻撃でウォーカー対は押し込まれたが、そこでロバート・E・ローズ少将の師団と砲兵隊に支援された。暗くなるころまでに、調和の取れていなかった北軍の攻撃は中断された。夜の間、南軍はルレー渓谷まで撤退した。7月24日、北軍はフロントロイヤルを占領したが、リー軍は無事に追撃を逃れた。
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