シェフィールドフットボールクラブの競技規則(1858年)
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「シェフィールド・ルール」の記事における「シェフィールドフットボールクラブの競技規則(1858年)」の解説
最初の規則は1858年10月21日にアデルフィ・ホテルで開催されたクラブの総会で承認された。クラブの議事録は現存し、規則の変化も記録されている。この規則の特筆すべき特徴には以下の事柄が含まれる。 ボールを手を使って「プッシング」(押す)あるいは「ヒッティング」(叩く)、そしてフェアキャッチ(別の選手からのボールが地面に触れる前にキャッチすることと定義される)を例外として、「ハンドリング」(ボールを手で扱うこと)は禁止された。 「ハッキング」(キッキング: 相手の脛を蹴ること)、トリッピング(相手の脚を引っ掛けること)、そしてホールディング(掴むこと)は全て禁止されたが、プッシングとチャージングは許された。 フェアキャッチに対してフリーキックが与えられたが、こういったフリーキックから得点することはできなかった。 ゴールはキックによってのみ決められた(1858年の規則はゴールの寸法や種類についてさらに詳しくは規定していない)。 スローインは、ボールがアウト・オブ・プレーになった後に最初にボールに触れたチームに対して与えられた。ボールはタッチラインに対して直角に投げなければならなかった。 ボールがゴールラインを越えてアウト・オブ・プレーになった時は、25ヤードから「キックアウト」となった。 オフサイドの規則は存在しなかった。 この時代の多くの規則と同様に、シェフィールド・ルールズは各チームの人数については指示しなかった 。 1858年のシェフィールド・ルールズの起源は一部の学術的論争の的となってきた。Harveyはパブリックスクールの影響を否定し、この規則が「より広い社会において一般的に人気のある着想」に由来したと主張した。それに応えて、Collinsは、シェフィールド・ルールズの多くとより古いラグビースクール・ルールズの間で言葉遣いにかなりの類似性が存在することを明示してきた。地元の実力者も役割を果たしたかもしれない: シェフィールドFCの創立メンバーの多くは地元のCollegiateスクール(英語版)の出身であり、ボールを手で扱う(ハンドリング)よりも蹴る(キッキング)スタイルのゲームを好んだ。キッキングゲームは地元の村ペニストーン(英語版)とサールストーン(英語版)においても流行していた。 クラブの規則は、フィールド上のいかなる論争もそこにいる委員会メンバーによって解決されることを決定している。これは現在審判員によって占められる地位に関する最初の言及である。 1859年10月のクラブの次の年次総会において、競技規則の改訂と出版の準備のために委員会が任命された。競技規則はその後にその年のうちに軽微な改訂のみを行い出版された。
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