ザクセンの変遷とは? わかりやすく解説

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ザクセンの変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/23 15:18 UTC 版)

ザクセン」の記事における「ザクセンの変遷」の解説

古代ユトランド半島南部ホルシュタイン辺りザクセン人住んでいた。5世紀、このザクセン人サクソン人、英: Saxons)のうち一部が、ユトランド半島ジュート人アングル人とともにイングランドへ上陸したグレートブリテン島の彼らはひとつに溶け合いアングロ・サクソン人呼ばれるうになる一方大陸残ったザクセン人は、9世紀フランク王国分割の頃までに、フランク王国支配下入ってザクセン部族公領(のちのザクセン公国)を作り上げた。これがザクセン(独: Sachsen、英: Saxony)の地名ルーツとなる。ザクセン部族公領当初現在のニーダーザクセン州大部分からホルシュタインにかけてを領有していたが、東方植民過程領土大きく広げ現在のザクセン=アンハルト州ザクセン州にまでいたった1485年ザクセン公国は西のザクセン=ラウエンブルクと東のザクセン=ヴィッテンベルク分裂したおおよそ前者ニーダーザクセン州後者ザクセン=アンハルト州ザクセン州相当するザクセン=ラウエンブルクは、さらにいくつかの領邦分裂し拡大しつつあるプロイセン王国吸収されたり衛星国になったりした。一方ザクセン=ヴィッテンベルク繁栄した。これ以後、単にザクセンといえばザクセン=ヴィッテンベルク意味するようになり、ザクセン=ラウエンブルクニーダーザクセン低地ザクセン)と呼ぶようになった1806年ナポレオンにより、(ザクセン=ヴィッテンベルクの)ザクセン公国は、ライン同盟一員ザクセン王国となったフランス帝国崩壊後1815年ウィーン会議により、ザクセン王国の北半分プロイセン王国割譲され、ザクセン県(Provinz Sachsen、provinzは州とも県とも訳すがのちのザクセン州区別できるよう県とする)となったおおよそザクセン県はザクセン=アンハルト州ザクセン王国残った領土ザクセン州相当する1918年ドイツ革命後のヴァイマル共和政下では、ザクセン県はプロイセン自由州ザクセン県、ザクセン王国ザクセン州となった1944年ザクセン県はマクデブルク県とハレ=メルゼブルク県に分割されたが、ソ連占領時代1945年、両県と、かつてアンハルト公国だったアンハルト自由州などを統合しザクセン県が生まれ、その年の内ザクセン=アンハルト県、1947年ザクセン=アンハルト州と名前を変えた一方イギリス占領地では、1946年いくつかの小さな州や共和国統合しニーダーザクセン州生まれた東ドイツ時代1952年には東ドイツでは州が廃止され、5州が14県に再編されたが、東西ドイツ統一直前1990年、ほぼ(完全にではない)同じ領域の州が復活した

※この「ザクセンの変遷」の解説は、「ザクセン」の解説の一部です。
「ザクセンの変遷」を含む「ザクセン」の記事については、「ザクセン」の概要を参照ください。

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