ザカフカーズ軍集団
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「ザカフカーズ軍管区」の記事における「ザカフカーズ軍集団」の解説
1992年3月19日、ロシア大統領のUkaz No.260によってザカフカーズ軍管区とカスピ小艦隊はロシア連邦の管轄となり、1993年1月1日、軍管区はザカフカーズロシア軍集団(ロシア語: Группа российских войск в Закавказье、ГРВЗ、GRVZ)となった。上記の師団の多くが解散・以前の構成共和国の陸軍の一部になった後、1990年代中盤、ГРВЗの配置は以下のようになった 拠点 トビリシ 第12軍事基地(英語版)、グルジア、アジャリア、バトゥミ。 第62軍事基地、グルジア、サムツヘ・ジャバヘチ州、アハルカラキ。旧147自動車化狙撃師団、1999年10月時点で1964人が働いており、主力戦車41両、歩兵戦闘車両・装甲車114両、軍用車両46両、自走榴弾砲61両、ポンツーン架橋戦車2両。基地には第409、第412自動車化狙撃連隊、第817砲兵連隊、第889通信大隊、第65砲兵支隊が駐屯していた。 第102軍事基地、アルメニア、ギュムリ 第137軍事基地、バジアニ軍事基地(英語版)、グルジア(前第171親衛地区訓練センター) 1999年10月時点で、第405自動車化連隊に773人、主力戦車31両、歩兵戦闘車・装甲車70両、自走砲16両、ポンツーン架橋戦車1両であり、第566通信大隊に193人、移動無線局P-145BMを5機、第311独立ヘリ中隊に161人、Mi-24攻撃ヘリが5機、Mi-8MT輸送ヘリが5機あった。第405自動車化狙撃連隊はクタイシにいた第10親衛自動車化狙撃師団に吸収された。 第142戦車修理工場、トビリシ。1999年10月時点で、20人、主力戦車(T-72)28両、歩兵戦闘車・装甲車103両、自走榴弾砲2S32両が配置されていた。 Khelvachauri軍事倉庫、アジャリア。1999年10月時点で56人、29両の歩兵戦闘車(BMP-15両、BMP-224両など)が保管されている。 他の小規模編成と部隊には独立ヘリ中隊などがあった。 以前モスクワ軍管区の第20軍の副司令官であったAleksander Studenikin少将が、2004年には軍管区を指揮しており、副官はアンドレイ・ポポフであった。 バジアニのロシア軍は1990年代後半から撤退し始め、2005年に2007年から08年にかけて第12基地と第62基地の撤退の合意が行われた。アハルカラキの第62軍事基地は2007年6月27日に公式に移動した。バトゥミにある旧ソ連第89タマニャン狙撃師団の第12軍事基地(英語版)は当初2008年2月に移転を計画していたが、2007年11月13日にスケジュールより早く移転した。なおムツヘタにある旧軍管区本部のズヴェズダ指揮所は2005年の9月に引き渡されている。2006年に起きたグルジア・ロシア間のスパイ論争(英語版)によって、トランスカフカース軍集団のトビリシ本部は予定より早く閉鎖され、287人のロシア人兵は2006年12月31日にグルジアを離れた。これらによってザカフカース軍集団の大半の戦力はロシア側に撤退した。 一方でザカフカーズ軍集団が撤退した後も、ロシア兵はアブハジアや南オセチアで平和維持軍として維持された。アブハジア・グルジア国境では国際連合グルジア監視団と共に1600人が、南オセチア・グルジア国境には大隊規模の兵力がおかれている。ロシア当局によると、グダウタ軍事基地は現在も平和維持軍に利用されているとされるが、基地は国際社会の監視が許可されていない。オセチア紛争では駐屯するロシア兵が攻撃されたために軍の増派を行っている。
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