サ400形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 10:03 UTC 版)
1929年に製造された半鋼製で丸屋根を持つ車体長16m級の三等荷物合造付随車である。汽車製造東京支店で3両(サハニフ400 - 402)、日本車輌製造東京支店製の2両(サハニフ403, 404)の計5両が製造された。両者は基本的には同形同大であるが、細部に違いがある。側面窓配置は、1D(荷)4D6D3で、荷物室の荷重は2t、三等室の定員は90人(うち座席48人)で、三等室の扉間にはボックスシートが6組配置されている。自重は25t。 国有化後は、伊那松島機関区にあって従来同様後付付随車として使用されたが、1952年6月に運用の合理化のため400と401が荷物室を運転室に転用して制御車化され、記号が「クハ」となっており、翌年の車両形式称号規程改正によりクハ5900形(5900, 5901)に改められた。両車は1958年(昭和33年)2月および3月に試作交流直流両用電車の電源車として改造され、屋根上に交直両用のパンタグラフ・空気遮断器・交直切替器を、床下に主変圧器・水銀整流器・2つの交直転換器・直流リアクトルをそれぞれ搭載して、72系モハ73034, モハ73050とユニットを組み 作並機関区に転属、仙山線の仙台 - 作並間の交流電化区間と作並 - 山寺間の直流電化区間を直通する試験に供された。1959年の車両形式称号規程改正でそれぞれクヤ490形(1, 11)とクモヤ491形(1, 11)に改番され、クヤ490-1+クモヤ490-1でA編成、クヤ490-11+クモヤ490-11でB編成とした、これは、クヤ490形に搭載していた主変圧器・水銀整流器と車上での交直切替方式をA・B編成で異なる方式にしたためである。さらに1960年には営業用にも使用されることとなって車内に設置された直流リアクトルやバッテリーを撤去し、それぞれクハ490形とクモハ491形(番号同じ)に改称された。廃車は1966年(昭和41年)2月である。 付随車のまま残っていた3両(402 - 404)は、1952年に仙石線に転出し、1953年の車両形式称号規程改正でサハニ7900形(7900 - 7902)に改められたが、1957年2月に廃車され、うち7901と7902は翌年、弘南鉄道に譲渡された。
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