サノク戦区における「ホルスト・ヴェッセル」師団との合流とは? わかりやすく解説

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サノク戦区における「ホルスト・ヴェッセル」師団との合流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 10:14 UTC 版)

アンリ・フネ」の記事における「サノク戦区における「ホルスト・ヴェッセル」師団との合流」の解説

1944年8月5日、第8フランスSS義勇突撃旅団第I大隊ポーランド南東部ガリツィア地方)の街トゥルカ (Turka) へ到着し数日後には最前線サノク (Sanok) でソビエト赤軍交戦中の第18SS義勇装甲擲弾兵師団ホルスト・ヴェッセル」(18. SS-Freiw.Pz.Gren.Div. „Horst Wessel“) と合流した。 「ホルスト・ヴェッセル師団長アウグスト=ヴィルヘルム・トラバントSS上級大佐 (SS-Obf. August-Wilhelm Trabandt) から戦況説明されフランス人義勇兵たちは直ち展開しアンリ・フネSS義勇中尉第3中隊先陣務めることとなった。この時の第8フランスSS義勇突撃旅団第I大隊の編成次の通り。 第8フランスSS義勇突撃旅団第I大隊 (Ier bataillon / 8. Französische-SS-Freiwilligen-Sturmbrigade):1944年8月 ガリツィアの戦い 大隊長 ピエール・カンスSS義勇大尉 (SS-Frw. Hstuf. Pierre Cance) 第1中隊 ノエル・ド・ティソSS義勇中尉 (SS-Frw. Ostuf. Noël de Tissot) 第2中隊 レオン・ゴーティエSS義勇少尉 (SS-Frw. Ustuf. Léon Gaultier) → イヴァン・バルトロメイSS義勇少尉 (SS-Frw. Ustuf. Ivan Bartolomei) 第3中隊 アンリ・フネSS義勇中尉 (SS-Frw. Ostuf. Henri Fenet) 第5中隊 ポール・プレベSS義勇中尉 (SS-Frw. Ostuf. Paul Pleyber)対戦車砲小隊 アンリ・クライスSS義勇連隊上級士官候補生 (SS-Frw. StdObJu. Henri Kreis) 戦車破壊班 アベル・シャピィSS義勇連隊上級士官候補生 (SS-Frw. StdObJu. Abel Chapy) 第8フランスSS義勇突撃旅団第I大隊第3中隊 (3ème compagnie / Ier bataillon / 8. Französische-SS-Freiwilligen-Sturmbrigade):1944年8月 ガリツィア・サノク戦区 中隊長 アンリ・フネSS義勇中尉 (SS-Frw. Ostuf. Henri Fenet) 第1小隊長 ロベール・ランベールSS義勇少尉 (SS-Frw. Ustuf. Robert Lambert)(〜8月16日)→ マックス・キカンポアSS義勇伍長 (SS-Frw. Uscha. Max Quiquempoix) 第2小隊長 ロベール・ランベールSS義勇少尉 (SS-Frw. Ustuf. Robert Lambert)(時期不明第3小隊長 ポール・デルサールSS義勇伍長 (SS-Frw. Uscha. Paul Delsart) 第4小隊長 シャルル・ラシェSS義勇連隊上級士官候補生 (SS-Frw. StdObJu. Charles Laschett)補佐 ピエール・クーヴルSS義勇曹長 (SS-Frw. Oscha. Pierre Couvreur) 第3中隊行動開始8月9日とされ、それまでフネパンツァーファウスト携帯対戦車擲弾発射器)の安全な使用法を兵に教えておくよう下士官頼んだパンツァーファウスト使用練習中に近隣ドイツ陸軍部隊ネーベルヴェルファー多連装ロケットランチャー)で前線へ砲撃開始した時、それまでネーベルヴェルファー独特の発射音聞いたことがなかった武装親衛隊フランス人義勇兵たちが何事かと驚いて地面伏せるという一幕もあった。 1944年8月9日午後左側面の友軍部隊連絡を取るように命じられフネ第3中隊前進開始した。その途中で彼らは遮蔽物一切無い野原進んで赤軍銃撃迫撃砲攻撃受けたが、フネ彼の兵は訓練様にジグザグ走行突き進み軽傷者2名というごくわずか損害だけで前進成功した左側面の友軍部隊連絡をつけたフネ周囲の状況を探るため、ロベール・ランベールSS義勇少尉率い第1小隊の中から選んだ斥候派遣した。やがて戻ってきた斥候報告によると、周囲はその数を増やしている赤軍部隊溢れているという。そして夜になり、フネさらなる斥候派遣した翌日の朝、近く偵察していた第1小隊のジルベール・ドラットルSS義勇上等兵 (SS-Frw. Strmm. Gilbert Delattre) がの塔の中の敵兵狙撃され、第8フランスSS義勇突撃旅団最初戦死者となった狙撃兵銃火止んだ後に斥候隊が連れ帰ったドラットルの遺体第1小隊ランベールSS義勇少尉 によって埋葬された。 この頃フネ第3中隊のみならず第8フランスSS義勇突撃旅団第I大隊全部隊が前線入っており、彼らは行く先々赤軍神出鬼没パルチザン脅威さらされていた。 8月12日、「ホルスト・ヴェッセル師団第40SS装甲擲弾兵連隊長エルンスト・シェーファーSS少佐 (SS-Stubaf. Ernst Schäfer) 率いる「シェーファー戦闘団 (Kampfgruppe „Schäfer“) と第8フランスSS義勇突撃旅団第I大隊は、クラクフサノク間の鉄道線路沿った戦線への攻撃開始した。この時、フネ第3中隊は第I大隊右側面および「シェーファー戦闘団左側面の援護委ねられた。友軍部隊援護のために前進して布陣することは敵の榴弾砲および迫撃砲攻撃を受けることを意味していたが、フネ第3中隊屈することなく友軍援護射撃継続した。そして同日、第8フランスSS義勇突撃旅団第I大隊は「ホルスト・ヴェッセル師団特報および国防軍軍報 (Wehrmachtbericht) にその名が記載された。しかし、8月16日にはサノク戦区赤軍包囲されたため、第8フランスSS義勇突撃旅団第I大隊および他のSS部隊後方ドイツ国防軍戦区まで後退した

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