サウード朝の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 09:17 UTC 版)
「マスジド・ハラーム」の記事における「サウード朝の時代」の解説
サウード朝における最初の大改修は、1955年から1973年までの間に行われた。このときの改修でミナレットがさらに4基増設され、屋根も葺きかえられた。床も人工石と大理石で新しくされ、サファーとマルワの間のマスアー廊が屋根つきの通路によってマスジド・ハラームに接続し、施設の一部になった。このときの改修でオスマン朝時代の建築の多く(特に支柱)が破壊された。 1979年11月20日、サウード朝の打倒を叫ぶ過激派による占拠事件がマスジド・ハラームで発生した。過激派は人質を取り、鎮圧の際には数百人の死者が出た。暴力がかたく禁じられているモスクの中で起きた事件に、イスラーム世界は衝撃を受けた(アル=ハラム・モスク占拠事件参照)。 1982年から1988年の間に、ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール・サウードのもとで行われた二度目の改修事業においては、礼拝大広間用の建物が一つ増え、さらに屋外の礼拝スペースも拡大した。 1988年から2005年までの拡張工事は、サウード朝における3回目の改修である。ミナレットがさらに増設され、サウード家の人物が住む高層ビルがマスジド・ハラームを見渡せる位置に建てられ、礼拝者用のエリアもさらに広がった。アラファ山、ミナー、ムズダリファの礼拝者受け入れ施設の拡充も同時に行われた。3回目の改修でマスジド・ハラームは、3つのドームを有する門を18以上、500本近い大理石の柱を有することになった。そのほか、床暖房、エアーコンディショニング、エスカレーター、下水道施設を備えるようになった。 アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール・サウードは、2007年からマスジド・ハラームの拡張プロジェクトを開始した。サウード朝下における4回目の改修にあたり、2020年まで続くプロジェクトになる。計画では200万人の巡礼者に対応できるキャパシティを備えるものとされた。2016年の試算では、総工費は1千億ドルにのぼる。 プロジェクトの遂行はビン・ラーディン・グループに任されている。2015年9月11日にはモスクの建物にクレーンが倒れ、111人が死亡、394人が負傷した。
※この「サウード朝の時代」の解説は、「マスジド・ハラーム」の解説の一部です。
「サウード朝の時代」を含む「マスジド・ハラーム」の記事については、「マスジド・ハラーム」の概要を参照ください。
- サウード朝の時代のページへのリンク