ゴレットの最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:27 UTC 版)
「ゴレット (潜水艦)」の記事における「ゴレットの最期」の解説
日本側の記録である『大湊防備隊戦闘詳報』などを参照すると、ゴレットの最期は次のように推測されている。 6月14日15時45分、北緯40度59分 東経141度27分 / 北緯40.983度 東経141.450度 / 40.983; 141.450の白糠灯台(青森県東通村)165度9.2海里の地点を接岸航行中の輸送船相模川丸(東洋海運、6,886トン)は潜水艦からの3度の雷撃を受け、合計9本の魚雷に襲われたが回避した。当時このあたりで活動していた他のアメリカ潜水艦の記録を照合すると、この相模川丸を雷撃した潜水艦がゴレットであると判断されている。相模川丸からの警報を受け、大湊警備府はただちに大湊航空隊の航空機と特設掃海艇、特設駆潜艇などを繰り出して捜索を行った。このあたりは、機雷敷設能力もある特設巡洋艦盤谷丸(大阪商船、5,351トン)が1942年以来たびたび対潜機雷を敷設した場所であり、白糠灯台沖や久慈湾、宮古湾沖などに敷設されていた。白糠灯台163度9カイリの地点で発見されたと思われるゴレットは、同日15時55分以降、特設駆潜艇など6隻の艦艇に包囲追跡されたのち、次第に白糠灯台沖の機雷原に足を踏み入れたと考えられ、6月17日には潜水艦の物と思われる多くの破片が浮上し、幅100メートル、長さ5,200メートルにもわたる重油が流れているのを確認したとある。『大湊防備隊戦闘詳報』では、触雷地点を白糠灯台125度6カイリの地点としている。もっとも、触雷した割には1944年11月7日に恵山岬灯台沖で触雷沈没したアルバコア (USS Albacore, SS-218) のときのような、触雷の根拠となる具体的な記述に乏しく、あるいは触雷しても小爆発に留まった可能性もある。 4日後の6月18日、白糠灯台沖には長さ2,000メートルの重油の油帯が依然として残っていた。これが4日前の油帯の残りなのか新たな油帯なのかは判別つかず、ともかくこの油帯を確認した特設監視艇宮丸(大濱漁業、81トン)の報告を受けた大湊航空隊の水上偵察機が8時30分、油帯に爆弾を投下し宮丸も爆雷攻撃を行った。その後、13時と15時50分にも繰り返し攻撃を実施。その結果、気泡や新たな重油の噴出が確認され、後者に関しては6月20日まで確認された。どちらの攻撃がゴレットの最期を示すものかは判然としないが、14日に致命的なダメージを受け18日に止めを刺されたか、あるいは14日に触雷沈没して18日に攻撃したのはゴレットの残骸だった可能性もある。 アメリカ側記録では、ゴレットの沈没位置を北緯41度04分 東経141度30分 / 北緯41.067度 東経141.500度 / 41.067; 141.500としている。
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