コムソモーレツウクライーヌィ (大型対潜艦)とは? わかりやすく解説

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コムソモーレツ・ウクライーヌィ (大型対潜艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/16 13:37 UTC 版)

SKR-25
コムソモーレツ・ウクライーヌィ
1983年11月30日ベイルート沖で撮影された
コムソモーレツ・ウクライーヌィ
艦歴
SKR-25
СКР-25
起工 1959年9月15日 第200造船工場
進水 1960年12月31日
コムソモーレツ・ウクライーヌィ
Комсомолец Украины
改称 1962年10月9日
竣工 1962年12月31日
所属 ソ連海軍黒海艦隊
ロシア海軍黒海艦隊
退役 1991年6月24日
除籍 1992年12月31日
解体 1995年5月3日
要目
艦種 大型対潜艦
艦型 61号計画型
工場番号 1701
排水量 基準排水量 3400 t
満載排水量 4390 t
全長 144 m / 132 m(水線長)
全幅 15.8 m / 14 m(水線長)
喫水 4.6 m / 4.6 m(水線長)
機関 COGAG機関M-3 2 基
ガスタービン機関M-8E 4 基
出力 72000 hp
52900 kWt
スクリュー 2 基
電源 ディーゼル発電機GTU-6 2 基
供給電力 52900 kWt
速力 35.5 kn
航続距離 3500 nm/18 kn(巡航速度)
3000 nm/23 kn
2600 nm/34 kn
行動期間 10 日間
乗員 士官 22 名
水兵 244 名
武装 艦対空ミサイル連装発射機ZIF-101 M-1「ヴォルナー」 2 基
艦対空ミサイルV-600(M-1) 32 発
76.2 mm連装両用AK-726 2 基
30 mm連装機関砲AK-230 4 基
5連装魚雷発射管PTA-53-61 1 基
12連装対潜ロケット弾発射機RBU-6000「スメールチ2」 2 基
対潜ロケット弾RGB-60(RBU-6000) 96 発
6連装対潜ロケット弾発射機RBU-1000「スメールチ3」 2 基
対潜ロケット弾RGB-10(RBU-1000) 14 発
機雷 20 発
指揮機 戦闘情報統禦装置「モーレU」
電探 汎用捜索電探MR-300「アンガラー」 2 基
水上捜索電探「ヴァイガーチ」 2 基
射撃管制装置 射撃管制レーダー4R-90「ヤタガーン」(M-1用) 2 基
射撃管制レーダーMR-105「トゥレーリ」(火砲用) 2 基
ソナー 「チターン」
「ヴィーチェグダ」
電子戦装備 電子戦対抗装置「ザリーフ」
電子戦対抗装置「クラープ11」 2 基
電子戦対抗装置「クラープ12」 2 基
音響警備装置 2 基
測距儀 光学電子測距儀MT-45 3 基
通信 装備一式
IFF 装備一式
搭載機 Ka-25PLO 1 機

コムソモーレツ・ウクライーヌィ(ロシア語:Комсомолец Украиныカムサモーリェツ・ウクライーヌィ)は、ソ連で建造された大型対潜艦(Большой противолодочный корабль)である。艦名は、ロシア語で「ウクライナコムソモール員」という意味。建造地であり、母港も置かれたウクライナ共和国を記念し、またコムソモールの40年に亙る貢献を讃えた名称である。

概要

建造

コムソモーレツ・ウクライーヌィは、61号計画によって建造される最初の艦艇として起工された。工場番号は1701号艦で、当初は対空・対警備艦(Сторожевой корабль противовоздушной и противолодочной обороны)に分類された。当初は、艦名もまた「第25号警備艦」を意味するSKR-25(СКР-25)であった。

SKR-25は、1959年9月15日ニコラーエフの第200造船工場(現在の61コムナール記念造船工場)で起工、同年11月10日ソ連海軍へ登録、1960年12月31日には進水した。その後、1962年10月9日には艦種が大型対潜艦に変更され、艦名もコムソモーレツ・ウクライーヌィと改められた。その年の12月31日に竣工し、1964年11月23日付けで黒海艦隊に編入された。

活動

1964年6月18日から25日にかけて、セラフィム・チュルシン黒海艦隊司令官の指揮下、コムソモーレツ・ウクライーヌィは巡洋艦ミハイル・クトゥーゾフ、大型対潜艦ソオブラジーテリヌイと艦隊を組み、ユーゴスラヴィアスプリトを訪問した。

1960年代後半には、中東戦争に関連する実戦任務に就いた。第三次中東戦争直後の1967年7月5日から30日の期間、エジプトに対する軍事支援任務を遂行した。

1970年5月8日から18日にかけては、アルジェリアアルジェを訪問した。1977年5月23日から1979年8月7日にかけては、セヴァストーポリの「セヴモルザヴォート」にてオーバーホールを受けた。

1986年11月18日から21日にかけては、ギリシャピレウスを訪問した。1987年11月17日から21日にかけては、チュニジアチュニスを訪問した。1989年6月28日から7月2日にかけては、トルコイスタンブールを訪問した。

最期

資金資産局への引渡しと解体・売却のため、1991年6月24日には退役となった。1992年11月9日には軍艦旗を降ろし、1992年12月31日付けで海軍を除籍された。

艦はトロツキー湾に繋留されていたが、1995年5月3日にはインケルマーンに曳航され、3週間の内に解体された。

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