コミュニケーションと言語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 15:09 UTC 版)
「コミュニケーション」の記事における「コミュニケーションと言語」の解説
イヌやネコも、イヌやネコなりにコミュニケーションをしているが、しかし人間のように細やかな関係をつくることはできない。「刎頚の交わり」すなわち、首を切られても悔いが無いような親しい友人関係という言葉があるほどに、人間は親密になることも可能である。 加藤秀俊はその理由を、ひとつには人間が「ことば」を使えるからであり、お互いに「わかる」ことができ、共感(Empathy)を持つこと、共感することができるからであるとする。加藤によれば、共感とは、ひとりの人間の内部に発生している状態ときわめてよく似た状態がもうひとりの人間の内部に生ずる過程である。例えば、誰かの「痛い」という言葉を聞いた時、聞いた人の内部では次のような過程が発生する。「痛い」という言葉によって表現されたからだの状態に似た状態を、聞き手はみずからの体験に即して想像する。聞き手はべつだんその部分に痛みを感じるわけではないが、「痛い」という言葉によって表現しようとしている身体の状態がどのような性質であるかを知っているのである。また、共感はしばしば、生理的な次元でも起きる。例えば、親密な関係においては、痛みはたんに想像上経験されるだけでなく、実際の生理的な痛みとして体験されることもあるという。また、フィクション上の登場人物の行動に心拍数が上がるとき、観客(読者)は、その登場人物に自分自身を置き換えると言えることから、人間は「相手の身になる」能力を持っているのであるという。 「心の理論」および「自閉症」も参照 加藤は、ことばを用いた共感について、小説を読んでいるときの人間の心のうごきを分析して、インクのシミのあつまりに一喜一憂する奇妙な行為であると述べる。このことから、人間は「実在世界的世界の速記法として、記号の世界を泳ぐ能力を持っている」という。 人間は記号によってうごく。そして人間同士は、記号を用いて互いに共感しあうことができる。加藤は、共感の過程をコミュニケーションと呼ぶ。共感がつみかさねられてゆけばゆくほど、人間関係は深くなってゆくとし、加藤によれば人間関係はコミュニケーションの累積だと言う。また、お互いに記号を交換しあうことなしに成立する人間関係というのは、ほとんど想定できないとし、手紙、デート、おしゃべり、会議など、どんな関係であれ、人間関係は記号、言葉の交換を通じて成立しており、「ことばをかける」ということは人間関係の基本的な条件であるという。
※この「コミュニケーションと言語」の解説は、「コミュニケーション」の解説の一部です。
「コミュニケーションと言語」を含む「コミュニケーション」の記事については、「コミュニケーション」の概要を参照ください。
- コミュニケーションと言語のページへのリンク