コミュニケーションの一形態としての儀礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/07 01:30 UTC 版)
「儀礼」の記事における「コミュニケーションの一形態としての儀礼」の解説
ヴィクター・ターナーは、人々を構造の桎梏から反構造もしくはコミュニタスへと解き放つ潜在力を儀礼の中に見ていたのであるが、これに対してモーリス・ブロックは、儀礼は体制への順応を促すものであると考えた。 ブロックによれば、儀礼的コミュニケーションは特殊かつ限定された語彙を使用し、許容される説明が少なく、文法的形態に制限が加えられているという点で、通常とは異なっている。その結果として、儀礼における発話は予想可能であり、また発話者は陳述可能なことがらについてほとんど選択肢がないという意味で匿名的である。統語論上の制約によって話者が命題陳述による議論を行う可能性が低められ、たとえば結婚式における「私は誓います」というような順応的な発話を行う以外の選択肢がなくなってしまう。このような「遂行的」と呼ばれる発話においては、話者は論理的な形で政治的な議論を行うことができない。これはウェーバーが「伝統的権威」と呼んだ典型的状態を示している。儀礼言語についてのブロックのモデルは儀礼における創造性の可能性を否認する。これとは対照的に、トーマス・ソルダスは儀礼言語がいかに革新的であり得るかを論じている。ソルダスは同じ遂行的要素をもつ儀礼群(共通の「詩学」をもつ儀礼の「ジャンル」)に注目する。これらの儀礼は形式性のスペクトラムに沿って散在しており、一部のものはあまり形式的・制限的ではないが、一部のものはより形式的・制限的である。ソルダスによれば、比較的形式度の低い儀礼は革新的であり得るという。こうした革新が受け入れられ、標準化されるにしたがって、それらは次第により形式的な儀礼の中に取り入れられるようになる。このように、極めて形式的な儀礼さえも創造的な表現に対してまったく閉ざされているとは言えないのである。
※この「コミュニケーションの一形態としての儀礼」の解説は、「儀礼」の解説の一部です。
「コミュニケーションの一形態としての儀礼」を含む「儀礼」の記事については、「儀礼」の概要を参照ください。
- コミュニケーションの一形態としての儀礼のページへのリンク