コチーノの沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/18 14:23 UTC 版)
「タスク (潜水艦)」の記事における「コチーノの沈没」の解説
NATOとの共同演習の終盤、タスクはコチーノ (USS Cochino, SS-345) を含む部隊と共に活動した。8月25日、コチーノはノルウェー沖を航行中にバッテリー1基の爆発事故を起こす。タスクはコチーノの救助のため現場に急行し、救命筏を使ってコチーノの負傷者に医薬品を供給した。筏の1隻が荒海のため転覆し、コチーノの士官および艦船局の職員が海に投げ出された。両名とも救助されたがタスクの甲板上で人工呼吸をおこなっている途中に波が押し寄せ、民間人と11名のタスク乗員が海に押し流された。乗員4名のみが救助された。これらの事故の後、タスクとコチーノはノルウェーのハンメルフェストに向かった。その途中、コチーノのもう1基のバッテリーが爆発し、船体内に海水が流入し始めた。タスクは荒海の中沈みゆくコチーノに並び、最悪の条件下コチーノの乗員を全て無事に救助した。コチーノは間もなく沈没し、タスクはハンメルフェストに向かった。 同年秋、タスクは本国に帰還しニューロンドン沖での沿岸活動を再開、潜水学校の支援任務に当たった。ノバスコシア州ハリファックスおよびバミューダ南方への巡航を行い、潜水学校での任務は1951年中旬まで続いた。その後再び第2潜水艦開発グループに配属される。艦隊との定期的な演習は1952年の夏まで続けられ、続いて第10潜水戦隊に配属される。ニューロンドン沖での通常任務は同年末まで行われ、その後第6艦隊との地中海における6ヶ月間の配備に就く。タスクは1953年初夏に本国に帰還し、再びニューロンドン沖での沿岸活動に従事する。1954年初め、タスクはカリブ海で活動し、続く4ヶ月間をニューロンドン沖での沿岸活動に費やし北ヨーロッパ海域への巡航を行った。この巡航で北アイルランドのベルファスト、スコットランドのグラスゴーを訪問し、同様に北大西洋でNATO軍との共同演習を行った。 1950年代の最初の4年でタスクはその経歴における活動パターンを確立した。1954年から73年にかけてもう4回の地中海配備を行う。しかしながら当初は海外配備の間に東海岸での活動が延長された。1954年の北ヨーロッパ配備の後、2度目の地中海配備まで6年が経過した。西大西洋でのアメリカ、カナダ両軍による共同訓練の後、1961年の秋にはNATO軍との演習に従事する。ニューロンドン沖での3年の活動期間後、1964年の秋に再びヨーロッパ水域に赴きNATO軍との訓練を行う。1966年の春から夏にかけて、タスクは第6艦隊との3度目の地中海配備に就く。1966年の後半には本国沿岸での任務に就き同任務は1967年前半まで続いた。1967年の夏にタスクは北ヨーロッパ水域に戻り、いくつかの港を訪問し、NATO各国軍との訓練を行った。11月には西大西洋でアメリカ、カナダ両軍による共同訓練に参加し、その後東海岸での任務を再開した。1968年から69年の前半にかけてニューロンドンを拠点としての任務を継続し、その中には原子力潜水艦ジャック (USS Jack, SSN-605) およびラファイエット (USS Lafayette, SSBN-616) との訓練も含まれた。7月にタスクは4度目の地中海配備に就き、10月に東海岸での作戦活動を再開した。
※この「コチーノの沈没」の解説は、「タスク (潜水艦)」の解説の一部です。
「コチーノの沈没」を含む「タスク (潜水艦)」の記事については、「タスク (潜水艦)」の概要を参照ください。
- コチーノの沈没のページへのリンク