コサキン関連
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「NISSANミッドナイトステーション ザ・欽グルスショー」の記事における「コサキン関連」の解説
(出典:) 1984年1月頃から、番組中に粘土作りなどのウニの作品がコサキンの番組に贈られてくるようになり、その中で当時リスナーだった秋葉隆史(現在はテレビディレクター)からラジコンで動くウニが贈られてきたことがきっかけで本格的に番組中でブームになり、同年4月28日にはTBSホールで約2000人のリスナーを集めた「ウニ展」が開催されるまでになった。 1984年4月1日にはコサキンの2人を交えたイベント、高尾山ハイキングが行われた。この前日の3月31日の放送の最後で、エイプリルフールのようなつもりで二人がちょっとだけ言っただけだったが、降雪の天気の中で高尾山ケーブルカーの清滝駅の前には約100人のリスナーが集まっていた。頂上では「絶叫大会」などが行われた。 この当時、同じ事務所の車だん吉のネタで番組が盛り上がっていたことがあり、「周りにいっぱいハニワがある古墳に住んでいる」といったネタがきっかけでこの年の5月頃からハニワ作品がリスナーから贈られてくるようになった。前述のウニと同じ様にこれも番組中でブームになり、この年の8月3日にはコサキンの2人も参加し、リスナーはハニワの仮装で集まったバスツアー「ハニワだよ!全員集合」が富士急ハイランドで、同年11月18日には「ハニワ展」がTBSホールで行われた。 1985年2月23日の放送では、「腹痛がする」と言って関根が途中でスタジオを抜け出し、残った小堺が放送作家の鶴間政行と一緒に番組を進めていたが、数分後に関根がトレンチコートに茶色のタートルネックという、当時TBSテレビで放送されていたドラマ『少女に何が起ったか』の中で宇津井健がしていた格好と同じ様な姿で「窓辺に立つぞうです」と言って現れ、小堺が笑い転げていたということがあった。実は関根、鶴間とディレクターの門脇覚が小堺向けに仕掛けたものだったという(これがリスナー間では「窓辺に立つぞう事件」と言われている)。この3週間後には今度は小堺が「雑誌の取材と撮影でスタジオ入りが遅れる」として関根を仕掛けようとし、関根と当時のマネージャーと2人で番組を進めているところへブリーフ1枚にトイレットペーパーを体中にぐるぐる巻きにした姿で現れるということをしたが、関根には「今までずっとその姿で撮影していたの」と思い込まれて全くウケなかったという。 1985年3月30日の放送で、小堺が当時横浜大洋ホエールズの「高木豊内野手」を「たかぎとようちやしゅ」を読み間違え、以降も番組(コサキン)でたびたびネタにされた。 1985年5月頃から、バーブ佐竹の曲「青いゴムゾーリ」が番組中で盛り上がり始め、この翌年1986年7月28日に神奈川県鎌倉市の由比ヶ浜で行われた「青いゴムゾーリ投げ大会」につながっていった。 この他番組イベントとしては、1985年7月7日に「コサキン七夕の集い」が、同年8月29日には「コサキンスポーツフェア・野球大会」が行われている。
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