コサックの滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:46 UTC 版)
ロシア内戦が始まると、コサックと農民によって組織された緑軍が結成された。緑軍は、反ボリシェヴィキ、反白軍を基本とした。 そのため、ロシア革命において政権を掌握したボリシェヴィキは、コサックを「敵階級」「反革命分子」と見なし、ロシア内戦において徹底的に弾圧した。赤軍とチェーカーの手によりコサックの一掃が行われ、人口440万人の70%に当たる308万人が、戦闘、処刑、流刑などで死亡した。 レーニンの後継者となったスターリンも、レーニンのコサック根絶政策を忠実に継承し、ホロドモールによって多くのコサックが餓死した。弾圧を逃れたコサックの多くは海外に逃れた後に、独ソ戦においてドイツ国防軍に協力した。第二次世界大戦が終わると一部が欧米諸国へ逃亡するものの、ソ連軍に強制連行されるなどして過酷な運命を辿った者も少なくない。 その一方でソ連政府は、1936年に共産党に従順なコサックを中心に赤コサック軍として編成し始めたが、基準に合ったコサックは殆どいなかったので、内務人民委員部の士官や赤軍の兵士、そして非コサックであった町人や農民が赤コサック軍の多数を占めた。結果として、クバーニやドンなどでは従来のコサックの姿は殆ど消え、赤コサック軍の軍人が住居するようになった。
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