グループの経営の実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 03:46 UTC 版)
「ロバート・マクスウェル」の記事における「グループの経営の実態」の解説
マクスウェルが多額の借金を重ね不正な経営をしているのではないかとの噂は長年伝わっていたが、彼は有力な弁護士らと契約しており裁判資金も惜しまなかったため、ジャーナリストらも彼から訴えられるのを恐れ批判的な記事を書こうとしなかった。彼を皮肉った風刺雑誌プライベート・アイ(Private Eye)は何度も訴えられ、一度は22万5千ポンドの賠償を命じられたこともある。しかしマクスウェルが借金や詐欺的手段の上にメディア帝国を築いたことを示す事柄が後に明らかになった。たとえば彼は従業員の年金基金から数百万ポンドを「借り」、グループ企業の経営状態をよく見せていた(こうした手段は当時は違法ではなかった)。1980年代末になると矢継ぎ早に企業を買収しては売却することを繰り返し、経営基盤の弱さを糊塗していた。1990年にはヨーロッパ全土に向けて発行される英字紙「ザ・ヨーロピアン」(The European)を立ち上げ意欲的なところを見せたが(この新聞は1992年に売却され1998年に廃刊となった)、1991年には負債を埋めるためペルガモン・プレスとマクスウェル・ディレクトリーズをエルゼビアに440万ポンドで売却した。しかしこの金をすぐにニューヨークのデイリーニューズ買収につぎ込んだ。 1990年末には、ルパート・マードック所有の新聞各社に属する調査報道記者らがマクスウェル・グループで行われている年金を使った会計操作を調べ始めた。1991年5月にはマクスウェル・グループが法定の報告義務を満たしていないことが報道されたが、マクスウェル・グループの社員らはイギリスやアメリカの当局に同グループの年金基金に対する侮辱であることを訴えた。マクスウェルは自分の様々な工作が明るみに出ることを疑いだした可能性がある。 1990年から1991年にかけての時期、イギリスにおいて金利が非常に高くなり、直後に景気が急落し不動産不況が到来した。彼はミラー・グループやマクスウェル・コミュニケーションズなど所有する公開会社の持分を担保にした多額の借入金を抱えていた。銀行は一定の条件下でマクスウェルが株の一部を売ることを認めたが、もし売れば株価は下落し残った持分の担保価値が下がる恐れがあった。マクスウェルはさらなる借入金、年金、運転資金まで使い株式市場に介入し自社株を買い支えようとした。マクスウェルの経営はすでに危機的状態であった。
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