クラウディオ・ロティート会長時代
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「SSラツィオ」の記事における「クラウディオ・ロティート会長時代」の解説
クラニョッティによるラツィオの経営が悪化すると、2004年に清掃・警備会社等を経営する実業家クラウディオ・ロティートが買収に乗り出しクラブを買収。会長に就任する。 極度の財政難のため緊縮財政を実施しており、補強はきわめて限られた財政力で行なわれている。緊縮財政を反映して選手の給与額を制限し、大型補強もほとんど行なわないため、ラツィアーレからの反感を買うことも多いが、ラツィオが多額の負債を抱えながらも生き残っているのはロティートの辣腕に負うところが大きい。2005年には、1億4000万ユーロ(約195億円)と言われる負債の23年の分割払いで税務当局と合意するなど、優れた手腕を発揮した。 ロティートはルチアーノ・モッジとの親交が深かったが、その深さが仇となり、カルチョ・スキャンダルへの関与が疑われた。こうして2006年7月14日、セリエAの八百長問題に関連して「セリエB降格および勝ち点-7点からのリーグ戦開始」との判決が下される。7月25日、控訴審判決においてセリエA残留、2006-07シーズンの勝ち点-11でのシーズン開始と2005-06シーズンの勝ち点-30の判決が下された。後の判決によって、2006-07シーズンのペナルティが勝ち点-3に削減された。この事件についてはカルチョ・スキャンダルの項を参考のこと。 2006-07シーズン、クラブには重いペナルティが課されたが、デリオ・ロッシ監督の下、デルビー・ロマーノで歴史的大勝(ラツィオが3点差以上のスコアをつけて勝利したのは初めて)をするなどして最終的にシーズン3位でUEFAチャンピオンズリーグの出場権を獲得するなど、再生は堅実に進められた。2008-09シーズンはセリエAでは10位に終わるものの、コッパ・イタリアを制し、続くイタリア・スーパーカップも獲得した。 2009-10シーズン、移籍希望を公言したゴラン・パンデフにロティートが激怒し、同様の訴えをしたクリスティアン・レデスマなど主力数選手などと共に戦力外扱いされる出来事があり、その影響などから成績不振が続いた。 2012-13シーズン、リーグ戦では7位に終わるも、コッパ・イタリアでは決勝でASローマとのローマ・ダービーを制し、4年ぶり6度目の優勝を果たした。 2015-16シーズンはヴェスレイ・フートや、数年後にFCバルセロナやマンチェスターユナイテッドなどから注目を集めることになるセルゲイ・ミリンコヴィッチ=サヴィッチらを獲得。しかし、UEFAチャンピオンズリーグのプレーオフではバイエル・レバークーゼンに敗れ、本選出場を逃す。怪我人の続出もあり成績が伸び悩む中、4月3日に監督のステファノ・ピオリが解任され、シモーネ・インザーギがシーズン終了まで暫定監督を務めることになった。しかし、最終的にはセリエAは8位に留まり、来シーズンの欧州への切符は逃すこととなった。 2016-17シーズンは混乱のスタートとなった。7月6日、マルセロ・ビエルサ監督の就任が公式発表された。しかし、約束した選手の補強が果たされなかったとの理由でわずか2日後に辞任し、後任に再びシモーネ・インザーギが就いた。その中でルイス・アルベルトやトマス・ストラコシャ、元セリエA得点王のチーロ・インモービレ等を獲得。シーズンが始まってみると、ミリンコヴィッチ=サヴィッチのブレイクやインモービレが23得点を挙げるなどの活躍もあり、セリエAは5位でフィニッシュ。ヨーロッパリーグの出場権を獲得した。
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