クェゼリン環礁の空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 08:18 UTC 版)
「マーシャル・ギルバート諸島機動空襲」の記事における「クェゼリン環礁の空襲」の解説
第8任務部隊は1月31日日没後に艦砲射撃任務の巡洋艦部隊を分離し、30ノットに速度を上げた。2月1日午前1時40分頃から2時過ぎ(アメリカ側時間:午前4時40分-5時過ぎ。以下、原則として日本側時間による)にかけ、空母「エンタープライズ」は、クェゼリン環礁に向け第一次攻撃隊の艦爆37機と艦攻9機(爆弾装備)を発進させた。空は晴れて満月が明るく、しかも無風で絶好の天候だった。 2月1日午前4時頃、第一次攻撃隊はクェゼリン環礁への攻撃を開始した。飛行場のあるロイ=ナムル島(ルオット島)上空では、艦爆隊と迎撃に上がってきた日本軍戦闘機10機との間で空中戦が行われ、アメリカ側2機が撃墜された。アメリカ軍は日本機3機の撃墜を報じたが、日本側に被撃墜機は無い。艦爆隊はほかに2機が対空砲火等で未帰還となっている。艦攻隊はクェゼリン本島の艦船や陸上施設、エビジェ島(en:Ebeye Island)の水上機基地や係留中の飛行艇に水平爆撃を行った。艦攻隊は環礁内に有力な日本艦船が存在するとの偵察報告を発信し、連絡を受けた艦爆の一部が艦船攻撃に加わった。在泊中の日本軍艦船は小銃まで持ちだして応戦し、潜水艦は港内で潜水して逃れた。清水中将は「香取」を緊急出港させ、午前5時に隷下の潜水艦7隻に反撃のため出航するよう命じた。作成した暗号電文には誤りがあり、連合艦隊参謀長宇垣纏少将は「真珠湾攻撃時のアメリカ側の狼狽を笑えない」と述懐している。クェゼリン本島の第6根拠地隊司令部は空襲開始からすぐに爆弾の直撃を受け、八代少将ら多数が戦死した。 敵有力艦船所在との報告を受けた「エンタープライズ」では、午前4時半に、艦攻9機(魚雷装備)から成る第二次攻撃隊をクェゼリンに発進させた。第二次攻撃隊は、脱出を開始した日本軍の「軽巡洋艦」など大型艦を狙って命中魚雷多数を報じたが、実際には過早爆発などで命中弾は1発も無かった。第二次攻撃隊は迎撃機に出くわすことなく、午前8時半に母艦に帰還した。
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