ギリシャ復古調
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 19:22 UTC 版)
「アメリカ合衆国の建築」の記事における「ギリシャ復古調」の解説
19世紀前半、ギリシャ復古様式がアメリカ建築家の興味を引いた。イギリスの保護を離れた新生間もない国は新しいアテネ、すなわち民主主義の入口であろうとした。1787年に起草されたアメリカ合衆国憲法は建築物を必要とし、国家の主権と権力の分立原理を課する新しい制度を生んだ。公的、民間および宗教的建築(アメリカの独創性を構成することになった)は、この考えを反映し、そのモデルとしてアクロポリスの建築物を採用した。東海岸田園地帯の家屋玄関にはプロピュライア(ギリシャの神殿・寺院などの入り口)が大きさを変えて再現された。ベンジャミン・ラトローブ(1764年-1820年)やその弟子であるウィリアム・ストリックランド(1788年-1854年)とロバート・ミルズ(1781年-1855年)は大都市(フィラデルフィア、ボルティモアおよびワシントンD.C.)で幾つかの銀行や教会建設の注文を得た。それらの中でも各州の議会議事堂には新古典様式を採用した。例えばノースカロライナ州会議事堂(ローリーに建設、消失後1833年から1840年に再建)あるいはインディアナ州の議会議事堂(インディアナポリスに建設)がある。これらの内、後期の例として、オハイオ州コロンバスに建設されたオハイオ州議会議事堂があり、ヘンリー・ウォルターズが設計し、1861年に完成した。単純な玄関、連続したコーニス(壁または柱で支えられた水平材を飾る帯)、およびドームが無いことで、建物の威厳と大きさを印象づけている。ほぼ対称形の構造であり、最高裁判所や図書館も中に収めている。
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