キャンパス拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:39 UTC 版)
マギル・カレッジは1821年に勅許を受けたが、1823年に設立されたモントリオール医学研究所(英語版)が学内初の学術機関となるものの、1829年まで活動はなく、同年、カナダ初の医学部となる。医学部は1833年に医学博士の第1号(Doctor of Medicine and Surgery)、すなわちカナダ初の医学学位保持者を輩出する。 医学部は、1843年に教養学部が新築のアーツ棟(Arts Building)と東翼のドーソンホール(Dawson Hall)で教授を開始するまで、唯一カレッジで機能していた学部である。 マギル大学は歴史的にカナダ近衛兵団(英語版)とも強いつながりがある。ジェームス・マギルがその軍事連隊の中佐を務めたこと、その階級はアーツ棟前にある記念碑に刻印されていることから、毎年、戦没者追悼記念日に行進をするカナダ近衛兵団は、その石碑を出発地点としている。 法学部は1848年に設置された。これはカナダで初めて設置された法学教育に関する学部である。創設から48年、法学部棟が大学構内に建設された。 1855年から1893年にマギル・カレッジの学長であったジョン・ウイリアム・ドーソン卿(英語版)はカレッジを近代の大学に成長させた。ドーソン学長はモントリオールの富豪たちから援助を募り、キャンパス内の建築物の建設に必要な資産や資金を受贈した。寄付者の名前はキャンパス内の主要な建物の多くに刻まれている。 1861年、ウイリアム・スピア(William Spier)は、ウイリアム・モルソン(William Molson)のために、アーツ棟に西翼増築を設計した。1888年、アレクサンダー・フランシス・ダンロップ(英語版)は、ボヴィ教授(Prof. Bovey)と理学部(Science Dept.)のために、マギル・カレッジの東翼(現在はマギル大学のアーツ棟と呼ばれている)の主な改築を設計した。キャンパスの拡張は1920年まで続いた。アンドリュー・テイラー(英語版)によって設計された建築物は、レッドパス博物館(英語版)(:1880年)、マクドナルド物理学研究棟(Macdonald Physics Building:1893年)、レッドパス図書館(英語版)(:1893年)、マクドナルド化学研究棟( Macdonald Chemistry Building:1896年)、マクドナルド工学研究棟(Macdonald Engineering Building:1907年。現在はマクドナルド・スチュワート図書館(Macdonald-Stewart Library Building))、ストラスコーナ医学研究棟(Strathcona Medical Building:1907年。現在はストラスコーナ解剖学・歯学研究棟(Strathcona Anatomy and Dentistry Building))がある。 1900年、マギル大学はマクレナン巡回図書館(MacLennan Travelling Library)を設立した。「マギル大学ワルツ」(McGill University Waltz)はフランセ・C・ロビンソン(Frances C. Robinson)によって作曲された。 1885年、大学の理事会は、公式に大学名を「マギル大学」(McGill University)とする採決をした。1905年、マギル大学の主要な寄付者であったウイリアム・C・マクドナルド卿(英語版)からカレッジを受贈する。所在地はモントリオールの西32km、サンタンドゥベルヴュー地区のマクドナルド・カレッジ(Macdonald College)と呼ばれており、現在のマクドナルド・キャンパス(英語版)である。1907年にマギル大学の学生を受け入れた当時は、農学と家政学、教育学を教えた(として知られている)。 ジョージ・アレン・ロス(George Allan Ross)は1922–23年に病理学棟を設計し、1933年に神経学研究所、1938年に神経学研究所附属棟を手がける。ジャン・ジュリアン・ペロー(Jean Julien Perrault)がチャールズ・E・グラヴェル(Charles E. Gravel)の依頼を受けて1934年に設計したマクタヴィッシュ通り(英語版)のレジデンスは、現在、デヴィッド・トンプソン・ハウスと呼ばれている。
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