マギル・カレッジ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:39 UTC 版)
ジェームス・マギルは1744年10月4日にスコットランドのグラスゴーに生まれた。1756年にグラスゴー大学に入学、のちにケベック州で商人として成功を収める。資産は1811年から1813年の時期に作成した遺言状により、王立学術振興協会(RIAL)に対して「バーンサイド・エステート」(Burnside estate)ならびに19ヘクタールの田園地、1万ポンドを譲渡すると決めている。 1813年12月、マギルが死去する。RIALはその設立当初の業務であるローワー・カナダ(英語版)の初等教育管理に加え、マギルの遺言に基づき、大学を設立することとなった。 遺産受贈の条件として、土地と資金は「当該州における教育目的及び学術振興のために大学またはカレッジ」の設立に充当する必要があった。また遺言状には学校に遺贈者の名前を冠するよう求めがあり、これらを死後10年以内に実施するか、さもなければ相続権は妻の相続人に移るとあった。 1821年3月31日、妻の相続人であるデリヴィエール家(Desrivières)との長い法廷闘争の後、マギル・カレッジは大学への昇格についてジョージ4世より勅許を受ける。その勅許状に「学位授与を条件として、カレッジは大学とする」と記載されていた。
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