キャリア関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 10:17 UTC 版)
小学生の頃から、「新聞記者のように、人の知らないことを誰かに伝える仕事をしたいと思っていた」という。大学生の時に湾岸戦争が勃発。戦火の中、世界中のテレビ局の特派員が戦況を伝えている姿を見て、テレビの世界のジャーナリズムに憧れ、アナウンサーを志望するようになった。 NHK以外のテレビ局のアナウンサー試験も受験し、幾つか内定が出ていたが、得意の英語を活かすため海外に放送局を沢山持つNHKを選んだ。 初任地・大阪では、アナウンサーとしての発音やアクセントが下手で、先輩はもとより視聴者にも怒られたという。「やっぱり私なんてテレビに出るアナウンサーになんかなっちゃいけなかったんだ」と、将来が不安で別の進路を真剣に考えたこともあったが、先輩の指導と、取材先の中高年者の「そのうち上手くなるかもしれへんから」の言葉に支えられ、何とか続けてこられたと話す。 1994年リレハンメルオリンピックのスキージャンプラージヒル団体日本選手団最終ジャンパーで失敗ジャンプに終わった原田雅彦が、嫌がらせの電話が自宅にもかかってくるほどバッシングを受ける中、原田の妻に「心ない言葉をかけられ、おつらいとは思いますが、陰ながら応援しております」と激励の手紙を送った。 1998年長野オリンピックでは、スキージャンプラージヒル団体優勝直後の日本選手団にインタビューした。 2000年シドニーオリンピック100kg級決勝での篠原信一の誤審による敗退を涙ながらに伝えた。 数多くの結婚式の司会も担当してきた。 自身の声を「低い」と認識している。 アメリカ総局時代、母国語以外で生活することに大変苦労したという。「ようやく英語での生活に慣れた頃、東京復帰を命じられた」とも述べている NHK時代末期(2013年時点)の年収は1300 - 1500万程度とされているほか、将来は局内の出世コースに乗るとも言われていた。 2016年4月開始の『クローズアップ現代+』のキャスターに起用される予定だったが、見送りになったとされる。 NHK時代にはフリー転身の噂が絶えなかった。 NHK退職を考えていた時期(2017年夏頃)、大阪局時代から親しくしていた先輩(新人時代の指導係でもあった)の堀尾正明に相談をしていた。
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