ガラス文化の里
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 02:09 UTC 版)
地元賀茂村における伊豆珪石鉱山に対する認識は、単にガラスの原料を採掘しているといったものであり、ガラスそのものに対する関心は低かった。そのような中、東海工業は1988年の創立50周年に際し、ガラス文化の里づくり事業を立案する。この東海工業からの提案をきっかけとして、伊豆珪石鉱山が日本のガラス産業とガラス文化を支えてきた歴史を踏まえ、賀茂村ではガラスにちなんだ特色ある村づくり、村の活性化を図る事業を展開していくことになった。 ガラス文化の里計画最大の目玉事業は、黄金崎クリスタルパークである。1993年2月に賀茂村と東海工業が出資する第三セクター会社、伊豆グラスピアが設立され、黄金崎クリスタルパーク事業が進められることになった。賀茂村のガラス文化の里作り事業は、1993年7月に自治省の若者定住促進等緊急プロジェクトに指定され、黄金崎クリスタルパーク以外に、集会、研修施設のガラス文化ふれあい館、クリスタルロード、クリスタルビーチの整備事業、そして賀茂村独自のガラス製品の研究開発といった事業が進められた。 またガラス文化の里づくりの諸事業の推進とともに、賀茂村では1991年3月以降、村民や観光客などを対象としたガラス工芸教室を開催し、小中学校の授業の中にガラス工芸教室を取り入れた。さらに賀茂村ではガラス文化の定着、発展を進めるべく、1996年3月にガラス工芸作家の村内移住を進めるために「ガラスの村、見て聞いて語ってツアー」を実施し、村内での定住を進めるために資金の貸付制度を設けた。その結果、賀茂村に複数のガラス工芸作家が移住して作品作りを行うようになった。 1995年11月、黄金崎クリスタルパークの起工式が行われた。黄金崎クリスタルパークは1997年3月末に竣工し、4月27日にオープンした。地域住民がガラス文化の里づくりにより積極的に参加していくことを目指して、1998年5月からは賀茂村に定住したガラス工芸作家や地域住民らとの意見交換会「ガラス文化の井戸端会議」が行われるようになった。「ガラス文化の井戸端会議」の提案から、2001年からは賀茂村に定住したガラス工芸作家がガラス製の風鈴を制作し、リアカー等で販売する「風鈴まつり」が行われるようになる。なお風鈴まつり開始当初は、風鈴のガラス原料として伊豆珪石鉱山の珪砂が使用された。また定住したガラス工芸作家の協力により、新生児誕生記念事業としてガラスの手形、足形を取って写真立てやプレートにする事業が行われている。
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